Comments by Dr Marks

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 「子衿」の書き下し文―リクエストに応えて+イカフライ

先月(3月の14日)の記事詩経』からの詩「子衿」を紹介したが、その後、読者から書き下し文でどう読めばよいのかとの便りをいただいた。そういえば英訳詩で意味は伝えたし、種々の情報を伝えながら、書き下し文を付けていなかった。確かに、日本の漢籍の学びの長い習慣で書き下し文は重要だ。書き下し文で、日本語としての語感を楽しみ、意味を捉えることができるからだ。

以下の読み(書き下し文)は最良ということではないが、私の確かな読みであり、参考にしていただければ幸いだ。(昔、アル中の漢学者〔故人〕から習った読みは忘れてしまったが、私の読みは意外とそれと同じかもしれない。記憶の奥の底。)おおーっと、揚げ足取りとかあがるまさんに指摘されないうちに、書き下し文は歴史的仮名遣い(正仮名)を使う習慣ですが、忙しくて辞書で確認するのが面倒なので新仮名遣いで書きました、御免。


青青子衿、悠悠我心。  青青(せいせい)たる子(し)が衿(きん)、悠悠(ゆうゆう)たる我(わ)が心(こころ)。

縱我不往、子寧不嗣音。 たとえ我(われ)往(ゆ)かざるも、子なんぞ音(おん)を嗣(つ)がざる。


青青子佩、悠悠我思。  青青たる子が佩(はい)、悠悠たる我が思(おも)い。

縱我不往、子寧不來。  たとえ我往かざるも、子なんぞ来(き)たらざる。


挑兮達兮、在城闕兮、  挑(とう)たり達(たつ)たり、城闕(じょうけつ)に在(あ)りて、

一日不見、如三月兮。  一日(いちにち)見(み)ざれば、三月(みつき)の如(ごと)し。


〔注〕悠悠といってものんびりしているのではない。むしろ憂鬱の憂憂なのだ。漢字を間違って使ったわけではない。「音義相通の法則」といって、漢文(中文)では同様の例が多い。何度も言うが、娘から青年への切ない思いだからね。


↑突然だがイカフライ

同様に読者からのお薦めで、内田先生のブログに行ってみろと言われたので、本当に久しぶりに訪れた。相変わらず語調のよいブログで、学者のブログでないのは相変わらずだが、時々なかなかのひらめきがあるのも相変わらずで面白く読んだ。読んだといっても、このところ時間が惜しいので数日分だけだが、「イカフライ」さんとやらが暴れている(?)らしい。というか、それをご覧、と言われて久しぶりに訪れたわけだ。なんとも騒々しい。ウチダらしいかも。

それにしても、……、いずれ時間があるときに内田先生のブログとその管理について一言書くかもしれないが、今となってみれば、あそこへのコメントを止めてよかったのかもしれない。