Comments by Dr Marks

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こぼれたおっぱいは右なのか左なのか−ジジェクによるキリスト教論のふざけ? + 写真など追加

ジジェクに関しては、猫猫先生に始まり、あがるまさんやGnostistさんから、「何であのジジェクなど」と言われてしまったが、私としては「何で日本や英語圏ジジェクなの」という疑問が始まりだった。さらに、こやつがキリスト教にも物申しているのでどれどれということだった。

今晩一緒に食事をした医学関係者(精神科にも造詣あり)にジジェクのことを聞いたら知らないという。そこで彼女(←女性のドクター)が最新のiPhone(←僕も欲しい)を持っていたことを幸いに(←これ見よがしにテーブルの上に置くんだもの)、早速ジジェクのお説教YouTubeを出してやったら大喜び。「これは面白い、つまり症例として面白い」人物(?!)と言うではないか。やっぱり、狂ってるのかと思ってしまった。

Antonian 様から返事も来ないし、おっぱいの写真は著作権上載せられないので(直接下記のサイトに行けば見ることはできます)、下にジジェク的写真を載せる。実は前々から細君に話していた某法科大学院の男子トイレだ。このビルの女子トイレに細君は行ったことがある、もちろん彼女は男子トイレに入れないので、そんなに面白いのならぜひ写真を撮って見せてくれ、と頼まれていたやつだ。写真は、今日の午後そのことを思い出し撮ったもので、トイレの下の写真はそのトイレのある建物の全景。

小学校や中学校では珍しくもないのではあるが、大学では今どき普通じゃない。つまり、プライヴァシーを守る勉強をしている学生さんが連れションするとお互いのプライヴァシーは筒抜けとなる構造だ。実は、今でも郊外に出れば、男の公衆トイレは丸太を半分くりぬいたようなトイレに並んでするわけで、お互いの秘密を守る衝立はない。オープンアメリカ万歳!

こんな法科大学院を出てこの州の裁判官になると、同性結婚に賛成したくなるのだろうか。11月の州民投票で覆される公算が高いが、明日からしばらくの間、カリフォルニア州が誰でも同性結婚させる唯一の州となる。マサチューセッツ州マサチューセッツ州の州民でない限り認められないが、カリフォルニア州はどこの誰でも同性結婚させて構わない。ラスヴェガスでも誰でも結婚させるが、さすがに同性結婚はだめだから、カリフォルニア州の現在の状況は極めて特殊だ。禁止される11月前に結婚しようと、全米から同性婚志願者が西へ西へと向かっているそうだ。




下の記事がこのエントリーのオリジナルで、上が追加です

いや、本当のところはわからない。専門家のあの方 Antonian 様にお聞きしなければならないかもしれない。

何を言っているかって? 実は、ボルトラッフィオ(Giovanni Antonio Boltraffio)という15−16世紀に活躍した画家の絵がジジェクの本 The Puppet and the Dwarf の原書 に使われている。その絵が、私は裏焼き(back exposure)だと思うのだが、ネットで検索しても誰もそうとは言っていない。

この絵は、著作権の関係で、このブログに直接掲載することができない。しかし、それぞれのサイトは紹介できるのでクリックした上で比較して欲しい。(どうしてこんなことに気づくかというと、私自身が編集者としてある実験装置を裏焼きしてあわや大惨事となりそうになった経験から、常に気を付けるようになったからだ。)

まず、ジジェクの本から(MIT Press)

http://www.amazon.com/gp/reader/0262740257/ref=sib_dp_pt#reader-link

次に、この絵を所蔵する美術館のサイトから(National Gallery, London)

http://www.nationalgallery.org.uk/cgi-bin/WebObjects.dll/CollectionPublisher.woa/wa/largeImage?workNumber=NG728&collectionPublisherSection=work

出ているおっぱいは、右なのか左なのか。どちらが正しいのか。普通、所蔵館が間違うはずはないと思う。MIT Press のバカ編集者のせいか、はたまたジジェクがふざけたか。あがるまさんじゃないが、誰か教えてくれ。

感想というか連想だが、ハンガリーユダヤ人の奇術師でハリー・フーディーニ(Harry Houdini)という一種の天才がいた。スピリチュアリズムが大嫌いで、あらゆる奇術には種があり科学的説明が可能だと常々表明した。しかし、彼のステージそのものは、思い切りスピリチュアルなものであった。

ジジェクは、(フロイトラカンがそうであったように)神懸った説明できないような精神が嫌いで、ニューエイジや西洋化した禅などもバカにしている。だから、フロイトの無意識も本来の禅も、一部の精神主義者が誤解するような「曖昧そのもの」などではないと言う。しかし、その言説そのものが(ラカンみたいに)極めてスピリチュアルで、フーディーニのパフォーマンスのようだ。

ジジェクのこの本そのものはゴミであることは既に述べたが、何かと娯楽としては面白い作品だし、面白い男ではある。団塊の世代って、世界中同じなのだろうか。