Comments by Dr Marks

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コメントにならないコメント−7 (マスコミよ、マスごみよ)



神田の学士会館「ラタン」のメーンディッシュ(紛うことなきフランス料理だが、やや日本風で、ほっとする)

猫猫先生「マスコミよ」と嘆いていたが、そこまで凄いのかねー。確かに、マスコミなんて社会の木鐸なんて鼻から嘘で、ハーストもピュリッツァーもゴロツキの集団から出てきたもので、今頃は世間に媚を売るもっとも安っぽい娼婦のようなものだ(真面目な娼婦の方々ごめん)。あいつらの脳は空っぽ。

そういえば、世代論についても書いていらっしゃったな。同感だ。世代で一括りになどなりえない。ただ、ある分野の学問の流れなどでは、どうしても時代的制約はあるし、時代相(ethos)という気分的なものはある。しかし、たとえそうであっても、ナチスに協力するか抵抗するかは、それぞれの個人の特殊な動機に基づく。あっ、そうそう、あの本『日本売春史』で年号や肩書きが人物に入っていたのは助かった。例えば、「菜摘ひかる」なんていきなり出てきても何のことかわからなかっただろう。若死にしたのね。しかし、それでも現代日本の評論家については無知で困ったが。

まさにコメントにならないコメントで恐縮だが、常日頃思うことがある。日本人が日本人に合うか、アメリカ人がアメリカ人といるほうが落ち着く(comfortable)かというと、そんなことはない。合う合わないは、そんなことより大事なことがあるような気がする。また、告白すると、私はかなり好き嫌いがはっきりしている。私は教師として、立場上も実際も人には分け隔てなく接しているつもりでいるし、結果としても上々だと思っている。それでも、本来の内気な性格が(←本当だって、いろいろなテストで私の内向的性格のスコアは極めて高い=百人中1位から3位くらい)そうするのか、合わない人といると疲れる。