Comments by Dr Marks

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「やはり村上陽一郎がおかしい」問題は、この記事をもって Final Event といたします

暇な人はここをクリックしてください哲学ファイナルです。ギリシア哲学はやはり、強い。それにしても孔子が主審、聖アウグスティヌスと聖トマス・秋茄子もとへアキナスが線審。ねっ、楽しいでしょう。ファイナルなのにすまないが、もう一つおまけクリック。チラッとだけですが、西洋哲学史にアラブの哲学おじさんが登場します。きっと村上先生かもしれません。ああ、明日は日曜だからって何やってんだろう。でも面白い。

最後にするといったって、コメントはいつでもOKです。あの有名な finalevent で私が呼び出されていたことは知りませんでした。実は今日、土曜日だからすぐにご返事をと思っていたところ、私が自宅にいることがわかっている人たちが朝から電話をかけてくるは呼び出されるはで、とうとうミッションの町ヴェンテューラ(LAの西101号線で1時間半)まで出掛け、昼飯も食べず(遅い朝食だったこともありますが)コーヒーさえ飲まずに帰ってまいりました。例の猫がいた町です。今日は海風が寒いくらいだった。

で、晩御飯を食べ、そちらへコメントを投稿した次第です。そちらを見ていただければいいのですが、見るのは面倒という方のために、さわりだけ掲載します。

この問題では何が西欧あるいは西洋の類型化を厳密にする必要はありません。「猫猫ブログ」がこの議論で問題にした西欧や村上先生の西欧ははそれほど難しいことではないと感じます。「西欧のルネッサンス以降ににアラビア文化の没落が起こった」というフレーズに示されるような漠然としたものです。そして、小谷野先生や私が問題にしたのは、漠然とした西欧がギリシア・ローマの文化をあるいは著作を全く知らなかったかのように誇張して記述している箇所なのです。(あるいは村上先生が知らなかったのかもしれませんが、まさか。)

先のブログでは皆様にも馴染みの多いアウグスティヌスを取り上げましたが、ブログの読者には高飛車な言い方ながら、普通は馴染みの少ない西洋中世の二人の哲学者(神学者を取り上げましょう。まずは、これだけで十分でしょう。一人はローマ人ボエティウス(Boethius, 480-525)です。ヒエロニムスやアウグスティヌスの後で、まだ教父的時代ですが、既に中世です。彼は、アリストテレスプラトン、更にアルキメデスなどもギリシア語からラテン語に訳し、以後の中世人の役に立てました。

この後も(専門家の間での)有名人は続くのですが、ヨーロッパ大陸で活躍したスコットランドアイルランドエリウゲナ(Scotus Eriugena, およそ815-877)を二人目に挙げましょう。レコンキスタのはるか前の時代です。彼はこの時代の人間としてはやはり稀ではありましたがギリシア語の達人と言われていました。『偽ディオニシウス・アレオパギタ』をギリシア語からラテン語に訳したことでも有名ですが、プラトン哲学から後のスコラ学に繋がる学者としても知られています。この9世紀からスコラ学が始まったとするようです。(私は専門ではないので、これは教科書的知識からのものです。)

何と、上記の2名については日本語WPに項目としてありました。説明は簡単ですが参照ください。さすが文化国ニッポン!

結論です。確かに、アラビア文化からの刺激が西洋を成長させたことに変わりはありません。しかし、それまでの西洋が暗にして愚であり、古典文化も何もかも知らなかったというのは、私たちが「鎖国時代の日本は、西洋のことなど何もわからなかった」というのと同じ大法螺であります。