Comments by Dr Marks

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コメントにならないコメント−13 (1. 映画を観る東大の授業、2. パウロは還暦前に死んだか、3. イタリア人は落書き屋の元祖)

今日は短く感想三つ。初めのテーマはいつもの猫猫先生から、後の二つは Antonian 様のブログからのものだ。元のブログはそれぞれの標題をクリックすると読める。

1. 映画を観る東大の授業

東大の英語(英文学)の授業は映画を観るらしい。かつて私のブログで大橋先生の授業のことを言ったことがあるが、まことに羨ましい。誰がって? 学生でなく映画を見せて授業一こまが済んでしまう先生ですよ。

本当は、まさかそれだけではないのだろう。映像を見せる授業は、何であれ効果的なことがある。私は大昔、同じ大学でビデオを利用して演習に参加したことがある。その頃は大昔だったからか教授には映像など不評で、私は私でとても謙虚で内気なので(←嘘だ)自信をなくしかけたが、参加していた若い助手が私に加勢してくれて教授を言い負かしてくれた(←自分でできないのが情けなかった、ほら、内気だから)。

だから、映画を見せているからまともな授業をしていないとか、二日酔いで授業準備のできなかった翌日は映画をみせてお茶を濁す などと、間違っても言ってはならない(←と言いながら、暴露しているじゃないか)。普通、映画を見せる時間が、全授業の四分の一ないし三分の一くらいなら、授業としては成り立っている。それ以上なら他人(映画を作った人)の授業だから生身の先生などいらない。

2. パウロは還暦前に死んだか

原則的に(←原則って? 単なる所属です)プロテスタントの環境にいる私はローマカトリック教会(以下、ローマ省略)の行事などには疎い。6月29日は敬虔なるカトリック教徒(と私が信じているのですが) Antonian氏の言葉によると「ダブルじじいの日」だったらしい。ダブルのじじいとは聖ペテロと聖パウロカトリック教会に限らず、キリスト教会の二大重鎮です。

しかし、何でも今年は特別の年として、カトリック教会はその日から一年をパウロの年とするそうである。すなわち、パウロが生まれてから2000年だというのだ。生誕何年とかいうのであれば、確かにペテロ無視だ。私の知る限り、いまだかつてペテロの誕生日を本気になって研究した人はいない。完全に不可能だからだ。しかし、確かにパウロは違う。今から100年くらい前なら盛んな議論もあった。

その議論の結果どうだったか。議論はかなり複雑なので書かない。第一、私は昔、教室でパウロ年代記を講義している先生の話があまりにも高度過ぎて私の凡庸な頭脳は受け付けず、ノートするペンを落としたり居眠りしていたのだから。

ともかく、プロテスタントの学者の間では西暦5年説が有力になった。そのように書いている一般向けのキリスト教事典も多い。だから私は、カトリック教会が、はっきりと今年が生誕2000年と断言していたということは知らなかった。大いに慌て(私が慌てる必要などないのだが)ネットで Catholic Encyclopedia を見たら、そんなことは書いていない。また、残念ながら私は一度もご尊顔を拝することもなく先年亡くなった、私が信頼するカトリック学者レイモンド・ブラウンの本を書棚から取り出して見てみた。注意深く、「約5年から10年の間に生まれた」と書いてあるだけだ。

ちょっとWP(ウィキペディア)を覗いてみた。日本語版、没年のみ「65年?」;英語版「約5年生まれ、67年没」;ドイツ語版、没年のみ「60年以降?」;フランス語版、「10年頃に生まれ65年頃没」となっている。8年の根拠は何なのであろうか。私はわからない。もしそうだとすると、還暦前に死んだんじゃないか。「じじい」なんて、可愛そう。

3. イタリア人は落書き屋の元祖

どうやら、イタリアはフィレンツェの町で日本人たちが落書きをしたものだから大騒ぎということらしい。しかし、日本人はあちこちで落書きしている。私が(今よりも)若かりし頃、東部に貧乏旅行したときフィラデルフィアのYMCAに泊まった。引き出しを開けたら、何と日本語で大きな落書きがあるではないか! しかも、YMCAだぞー!

Antonian氏は、さすがに落書きの実態を知っていらっしゃるから、さまざまな落書きの話は読んでいて面白い。また、日本のポピュリズムがどんどんピューリタン化していると、嫌煙権者に辟易している猫猫先生が喜びそうなコメントもあった。

しかし、Antonian氏が当然ご存知のことだが、たまたま述べなかったことが二つあるので記す。一つは、イタリア語の「落書き(graffito, graffiti)」という単語が、世界共通の落書きを表わす言葉になっているということであり、もう一つは、この落書きはローマ兵のものだということで有名な聖書考古学の発見である。

たとえ落書きは世界共通の現象だとしても、昔から落書きはイタリア人のものが有名である。例えば、ポンペイの遺跡の落書きはあまりにも有名だ。このサイトでは(←クリックしてください)、言葉の説明や発音だけではなく、落書きの理由や遺跡の落書きの例を紹介している。かいつまんで言うと、昔は電話もないし宣伝の方法も限られていたから、落書きでメッセージを伝えるしかなかったそうだ。(←と書いているからといって納得してばかりではいけないよ。)

したがって、「泥棒だ、気をつけろ!」とか「私の夫を売りたくはありません」とか「愛する二人はミツバチのように蜂蜜の甘い生活を送るのです」と書きつけたりするだろうし、「何の誰兵衛ここにあり」とか「姓は誰々名は誰々は来たのに、お前どうして遅れたの」などと証拠の書付もしたくなるし、「食卓を共にしたくもない野蛮人がいる、そいつの名は誰々だー」と叫んでもみたくなる。それをみんな建造物に書くしかないから書いた。‥‥、だから、今どき、カメラ持ってるくせに矢鱈と落書きするな。嫌味はブログに書け、野蛮人。

我らの業界で有名なローマ兵による落書きというのは下に示した。聖書の箇所はヨハネ伝19章13節の「ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち『敷石』という場所で、裁判の席に着かせた」であるが、この敷石には双六で遊ぶための落書き(盤双六の枡目)がある。誰が描いたって? ローマ兵さ。双六(博打)だってローマから来たんだから。