Comments by Dr Marks

出典を「Comments by Dr Marks」と表示する限り自由に引用できます

パワポ童貞の猫猫先生−童貞で何が悪い

いやー、今頃パワーポイントが何かわかったというのは驚きだ。多少は大袈裟に書いているのだろう。しかし、いつもどおりだが、パワーポイントの評価となると、小谷野先生の鑑識眼は当を得ていると思う。まあ、直接講義室に向かってしまう非常勤講師は、世間に疎く非常識になってしまう傾向はある。同僚などと語る機会が少ないからだ。非常勤でなくても、教養課程で教えている教授などは、本当の同業者との交流は学会などに限られてくる。

それはともかく、パワーポイントは大学や社会において、既に日常的に使われている。近頃は、義務教育段階の学校にも普及しているらしい。確かに、図表や映像を多用する授業には役立つ。また、黒板に書き付ける時間が不要なので、効率よく授業を進めることができる。ただし、ソフトを準備する時間は結構かかる場合が多い。もっとも、来年も同じ内容で講義してよければ、元は取れるかもしれない。

だが、語学の授業ではどうか。語学というのはヒョイヒョイ進んだのでは定着しない。ネットリと進ませるには黒板書きのスピードが合っている。また、私の初めてのドイツ語の教師だった、当時デモシカでドイツ語教師をしていたドイツ人教育学者が言っていたが、語学は孤独な鍛錬である。授業で教室にあっても一人で内省できる余裕が必要だし、後で自室で一人で復習する時間が必要な科目である。パワポのうるささは、語学学習にそぐわない。変化表などが必要なら、パワポがなくてもコンピュータ画面をプロジェクターで映し出せるし、紙に書いた表で十分だ。

あのスクリーンがあれば、授業が楽しくなると思い込ませるのも馬鹿な話である。学会などでも、一度スクリーンに光を送ると、実際に映像があるときだけではなく、つまり映像を止めて演者が一生懸命話しているときでさえ、馬鹿面をスクリーンに注いでポカーンと口をあけ、演者の顔を見るでもなし演者のせっかくの話も聞くでもない人たち(←こいつらほとんどが学者だぜ)をみかける(←じゃ、お前は馬鹿面を観察していた馬鹿か?←そうです、すみません)。

そういえば、パワポの話ではないが、東大とかではどうして映画学科でもないのに英文科に限らず猫も杓子も得々と映画を話題にし映画を見せて授業をし映画を知らなければ文化人でないというような風潮になってしまったのだろう。心眼を開けなどと無茶苦茶なことは言わないが、目と耳がなければ真実を知ることができないのであろうか。

メクラやオシは文化から拒否されているのか。メクラやオシ・ツンボは授業に参加できないのか。こいつらパワポ崇拝者や映画崇拝族知識人に限って、マルクス博士は差別用語を使っているなどと言うのだろうな。猫猫先生パワポは絶対拒否してくださいよ。(僕は、ちょこっと使いますので、すみません。)