Comments by Dr Marks

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No. 19.

コメントにならないコメント−34 (ヴァメーシュの『イエスの復活』「イエス自身の復活に関する福音書の説明」後編)


The Disciples on the Road to Emmaus, James Tissot (1836-1902 French), Jewish Museum, New York
『エマオへの道』ジェームズ・ティソットはフランス出身なのでジャック・ティソとも呼ばれる。女を散々描いてから宗教画描いたらしいが、間違ってたらごめん。
えーと、また余計なことを言わなきゃならん。カラヴァッジオ(Caravaggio)の絵になどに詳しい人は、クレオパと歩いていたのはルカ自身だと思うかもしれない。ちょうど、ヨハネが匿名で出てくるように、ルカもここで匿名で出たということだ。賢い考えだし、古代からいろんな人が候補に上がっていて、ルカも確かにその一人だった。他に有力なのは使徒ヤコブだが、使徒エルサレムにいたはずだと私は思う。ティソのこの絵によると3人とも男だが、1人は女の可能性があるのだよ。うん、クレオパと一緒にいたのは奥さんとも考えられる。「二人」とある名詞の性は男性形だが、男と女の混合は男性形を使うのだから構わない。どうやら、クレオパと連れは自分たちの家に行ったわけだから、夫婦というのが自然かもしれない。そうすると、もう1人は女でなければならない。画家さんは大変だ。もちろん、クレオパと彼の息子という説もある。匿名は聖書の中でも困ったものだ。決め手がないよ。


今回は脱線しないようにする。脱線してると、脱線してる私が余計な時間を取られるんだ。金にはならないけどすることが一杯あるし。

しかし、また念のために記すことが出てきた。今、私は、ルカ伝とかマルコ伝という言い方をしているが、日本語としては口語訳が出た半世紀以上も前から、ルカによる福音書とかマルコによる福音書と呼ばれるほうが一般的だ。しかし、長ったらしいので、文語訳で使われていたルカ伝、マルコ伝も使われることは多い。初めて聖書を手に取った人が「ルカ伝」を探してもなかっただろう。「ルカによる福音書」のことだ。不親切ですまん。

しかし、このルカ伝の「伝」とは、ルカに関する伝記という意味ではない。だから、『ワシントン伝』の伝とは違う。ルカによって「伝わった」ということだ。では、何をルカは伝えたのか。イエスの福音(gospel)だ。英語で普通「ゴスペル」といわれる「福音」とは「よい音信=good news」という意味のギリシア語「エウアンゲリオン」を訳したものだ。

というわけで、今日はルカ伝のイエスの復活記事から始めよう。ルカ伝の復活記事もヨハネ伝に匹敵するくらい長い。しかし、ヴァメーシュは以下のように5つのステージに分ける。

その前にまず、ヨハネ伝ではマグダラのマリアがたった一人で墓に向かったことを思い出してほしい。もう一つ頭に入れて欲しいことはヨハネ伝のマリアは何も持たずに墓に向かっていることだ。なぜなら、これから出てくる共観福音書とは異なり、ヨハネ伝では、アリマタヤのヨセフとニコデモという大物ユダヤ人二人が亜麻布で死体をくるむだけでなく、香料をふんだん(百リトラ=30 kg 超!)に使用して、埋葬の儀式は済んでいたからだ(ヨハネ伝19:38−42)。

1)マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、それにガリラヤから来ていた婦人たちは、用意していた弔い用の香料や香油を持って、日曜日の朝早く墓に急いだ。場所は、金曜日の日没前に葬られるところを目撃していたのでよくわかっていた。しかし、墓石が取り除けられていて、中は空だった。すると、輝く衣を着た二人の天使が現れて、大略こう言った。「お前たちは、イエスガリラヤにいた頃、『悪い奴らに拘束されて、殺されるが三日目によみがえる』と言ったことを忘れたのか。弟子たちにこのことを知らせなさい。」彼女らは言われたとおりに弟子たちに伝えたが弟子たちは皆「ありえねーよ」と言って女たちを馬鹿にし、信じなかった

(実は、ヴァメーシュは省略しているが、ペテロだけは墓に行ったことになっているじゃないかという読者もいるだろう。みんなが手にしている現代語訳なら12節に書いてあるからだ。墓には行ったが、空なのを見て、ポカン(・_・)として帰ってくる。空の意味はわかっていない。そう、ヨハネ伝そっくり。「愛された弟子」がいないだけ。お気づきだろうか、古い写本では、この12節が抜けているものが結構ある。そこで、むしろ、後からできたヨハネ伝から書き写してきてここに挿入したのではないかという仮説も成り立つ。「ペテロの墓走り」は、やはりヨハネ伝が本家かもしれない。)

2)同じ日曜日だった。クレオパという弟子ともう一人の者が、イエスの悲劇を語り合いながら、都のエルサレムを出てエマオという村に向かって歩いていた。すると、途中、見知らぬ人と道連れになったが、この人は都から来たというのにイエスの裁判と死刑執行の出来事を知らないようだった。そこで、二人連れは、この見知らぬ人に、今朝になって女たちが刑死したイエスの墓に行ってみると死体がなくて空の墓になっていたという不思議な話もしてあげた。

3)すると、この見知らぬ人、実は復活のイエスが、彼ら二人に、「物分りが悪いね。それは預言者がすでに書いている内容でしょう」と説明するではないか。一行はエマオの村に着いたとき、二人はイエスに、夕刻だから私たちの家に泊まりなさい、と勧めた。食事のとき、エスがパンをさく姿を見たとき、二人は突然、「あっ、イエス様だ」と悟った。しかし、そのときはイエスの姿は消えていた。二人は、再びエルサレムにとって返し、エルサレムの弟子たちに合流した。

4)エルサレムで、エマオの弟子たちも加えて集まっていると、復活のイエスが現れた。初めは、みんな、お化けだと思った。しかし、イエスだということは、その傷跡からもはっきりしていた。お化けではないという証拠に、彼は何か食事することで肉も骨もある人間であることを悟らせた。イエスは弟子たちに、「私のことは律法の書にも、預言者にも、詩篇にもあるではないか、メシアは苦しみを受け三日目によみがえり、世界の救いを人々に述べ伝える。それはエルサレムから始まり、あなた方はその証人になる」と語った。ルカは使徒行伝の著者として、ここに使徒行伝の昇天の話も盛り込んだ。

(また、ヴァメーシュは省略しているが、この直前の34節でシモンすなわちペテロが復活のイエスに会ったことになっている。ルカ伝では、女たちはイエスではなく天使に会っているだけだから、本当ならペテロが最初に復活のイエスに会うことになってしまう。なんとなく、女たちではなく、ペテロに優先権?)

5)しかし、使徒行伝とは別で(あくまでもヴァメーシュの解釈であるが)、明らかに同じ日曜日に(多分夜になって)、イエスエルサレムを離れ、弟子たちをベタニア村の近くまで連れ出して、彼らを祝福すると天に昇って行った。弟子たちは喜んでエルサレムに戻る。(この時間的関係については異論がもちろんある。ヴァメーシュの言うような同じ日曜日とは限らない。)

今日は後編で終わるつもりだったが、長くなったので、明日、後編に続く「続編」を書く。ひとまず今日は終わり。