Comments by Dr Marks

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No. 18.

コメントにならないコメント−33 (ヴァメーシュの『イエスの復活』「イエス自身の復活に関する福音書の説明」中編)


Peter and John Running to the Tomb by Eugène Burnand (1850–1921)
スイスの写実主義の画家でウジェーヌ・ビュルナンの『墓に急ぐペテロとヨハネ』だが、下に説明したように、我々聖書学者はヨハネ伝のこの箇所を単に「ペテロの墓走り(Peter running to the tomb)」と言っている。ビュルナンは伝統的な理解で「愛された弟子」をヨハネとしたのだが、学問的には異論があることと、ヨハネを止めて「愛された弟子」というのも冗長なので「ペテロの墓走り」でヨハネ伝のこの箇所を指すことにしている。念のために申し添えるが、伝統的な使徒ヨハネとするのは今でも多数派である。弱虫で多数派大好き、寄らば大樹の陰主義の Dr. Marks もヨハネだと思っている。昔、使徒トマスだと考える先生の前で(そうだとは知らなかったから)、「へっ、トマスでなんかあるものか」とやってにらまれた。まっ、わちちも勉強して、トマス説も一理あることがわかりましたので、今後は馬鹿にしません。その他の人物、例えばラザロだとか、いろいろな説もありますが、まっいいでしょう。やっぱり皆さん、あれは使徒ヨハネだよ。


今回は前編、中編、後編の3本立てじゃ。「立てじゃ」ってどうして侍言葉になるの。講談師のつもりか。んにゃ、好男子のつもり、ナンチャッテ。で、今日は中編ヨハネ福音書を中心にまとめる。まとめるといってもヴァメーシュの本の要約だ。

要約といえば、前日トップに入れたボーカム先生の話も要約してこのブログに書けば役に立つかなと思った。長いのを頑張って聞いた人は、福音書グノーシス福音書が異質であり、何も取り立てて正統派が他のゴミ福音書を隠蔽しなくても自然と衰退するものであることは理解できただろうか。

福音書はとにかくも互いの矛盾はそのまま抱えたまま主要な教会で互いに容認するものとなった。もっとも、個々の事情は画一的なものではなかった。実際に、2世紀頃は福音書の中で最も古いマルコ伝は、あまり重宝された形跡がないことが確認されている。それなのになぜ三福音書としてマルコ伝が排斥されず、四福音書の一つとして残ったのかは、決定的な理由はわからないが、ともかく古いことと、マルコ自身は使徒ではなくても、使徒ペテロの伝承がマルコ伝に認められたことは重要なポイントであろう。

ボーカムによると福音書はいずれも、伝道活動の生涯と復活を含む伝記であり、旧約聖書と繋がる説話に溢れ、ユダヤ教に根ざす明確な一神教の立場をとり、使徒たちの目撃証言という保障つきの文書であった。ことに、目撃証言と歴史の空間と時間の中での具体的性が、漠然とした名前のない神ではなく、旧約の伝承と結びついた神を現実の中で捉えたものが四福音書であった。

ボーカムによるとグノーシス福音書の一般的性格は、いずれもこの逆である。現存写本の部分性・寡少性(paucity)を差し引いても、四福音書のような総合性を備えたものはない。生涯にしたところで、幼児・少年期にかたよったもの、復活後の想像的密事的な話に集中するもの、断片的な語録だけのもの、神話的な創造物語と霊の強調によって、神そのものが何であるのか判然としないもの、歴史に超然として、あまりにも人間的な憶測が幅を利かすもの、これらには旧約聖書から連続するメシアの姿は見られない。

要するに、四福音書は、現在の文化的状況に照らすと、安定し厚みのある伝統の中で洗練された文化として評価が一定のものであるのに、対するグノーシス福音書は、無計画で行き当たりばったりの擬似文化、二流文化の思想や作品に比することができるであろう。つまり、質が低いのだ。質が低いもので、高い質のものを評価したり理解しようとしても始まらないグノーシスの研究をするなとは言わない。しかし、せめてピアスン(Birger A. Pearson)先生ぐらいに大本を極めてからやってくれ。 

グノーシスの勉強を始めたいならピアスン先生の本がいいぞ。手に入りやすい2冊を挙げておく。まず、Gnosticism, Judaism, and Egyptian Christianity (1990, 2006)を読み、Ancient Gnosticism: Traditions and Literature (2007) を読むこと。同時に、これらの本に登場するグノーシス文書の現代語訳を傍らにおいて読めばなお結構。あるいは、とくに興味をもったものだけ図書館で読んでくるのもいいだろう。しかし、本格的に研究するなら、いくつもの古代言語と、まず聖書学から学ぶので、研究の端緒に着くまでに超天才でない限り10年はかかるから、その覚悟でやることだ。安直が好きならば、フランス現代哲学でもやればいい。フランス語だけでいいし。

ああ、また脱線だ。脱線は脱線だが、ボーカム先生を紹介してしまったので、そのままにして置けなかったのだよ。サービス精神がありすぎるんだな。本論に少し入る。以下は、ヴァメーシュがヨハネ伝の復活「事件」を8項目に分けたリストである。

と言ってから、また余計な説明をしなければならない。ヨハネ伝の復活記事はダブルバーガーである。何〜 ((((((ノ゚?゚)!☆? 本当はね。20章で終わってもいいのに21章を1枚追加してるんだ。欲張りヨハネさんだよ。手許の聖書を開いてご覧。20章の30−31節を読むと、もうここで終わりです、と言ってるようでしょう。それなのに21章に続いてしまう。そして、21章の24−25節も、また終わりの挨拶ですよ。このことは有名でさまざまな角度からの研究論文は毎年出ています。

さてその上でですが、ヴァメーシュは次のようにまとめます。

1) 日曜日の朝早く、マグダラのマリアが一人で墓に行くと入り口の石が取り除けられていた。

2) そこでマリアは、ペテロともう一人のイエスに「愛された弟子」にエスの体がどこかに持ち去られたと報告する。(「愛された弟子」とは誰か。ふつうヨハネとされるが、トマスであるとか、さまざまな意見がある。)

3) ペテロとその愛された弟子が墓に急ぐ。愛された弟子が先に着いたが、覗いただけで、先に中に入ったのはペテロだった。亜麻布が脱ぎ捨てられてあるだけで死体はなかった。愛された弟子も中に入り、何かを信じた。しかし、二人ともイエスが復活するという聖書の言葉を理解していなかったのでそのまま帰宅した。

4) ところが、二人が帰った後も、再び二人に付いて来たマグダラのマリアは墓に留まって泣いていた。彼女が墓を覗くと、今度は二人の天使がいて、「なぜ泣くの」とマリアに聞いた。彼女は「私の主イエスが取り去られてしまいました。どこにいるのかわかりません」と答える。天使のその答についてのコメントはない。

5) すると次は、彼女の後ろに男が立っている。やはり「なぜ泣くの」と聞く。マリアはそこの管理人だと思って、「あなたがイエス様の死体をどこかに連れて行ったのなら教えてください。私が引き取ります」と頼むと、管理人だと思われたこの男は「マリア」と呼びかけるではないか。イエスだったのだ。マリアは喜んで「ラブニ(またはラボニ)」とイエスに応える。(写本によりラブニまたはラボニ。写本ではヘブライ語とあるが、ヴァメーシュが書いているようにアラム語で、「先生」という呼びかけ語。)イエスは、すがりつくマリアを離し、天に昇る予定を告げ、弟子たちに知らせろと命令する。マリアは、イエスを見たことと言われたことを弟子たちに伝えた。(えええー((((((ノ゚?゚)、マリアはイエスを見てもわかんなかったんだ、初めは。ふ〜ん。と、いうわけです。)

6) マリアが見た復活のイエスの姿は、同じ日曜日の夕刻に、ユダヤ人たちを恐れて弟子たちが隠れていた家にも現れた。怖いから鍵をかけていた家の中に来た! 「シャローム!」なんて言って、イエスはなぜか彼らに手と脇腹の傷を見せる。「聖霊を遣わして、人の罪を許したり許さなかったりする鍵を上げる」なんてことも言う。

7) 実は、たまたまトマス兄さんはいなかった。イエスが復活して来た話を聞いても信じない。「ふん、馬鹿を言っちゃならないよ。私は、この指でイエス様の傷口に触るまでは信じないね」とまで宣言しちゃう。ここから、「疑り深いトマス(Doubting Thomas)」なんて、あだ名ができたんだね。

8) そんならということで、イエスが意地になったのか(嘘だよ)、八日の後に再び鍵のかかった家の中に来て、こんどは同席していたトマスに向かって、「ほーらね、触ってごらん」と傷口をトマスに差し出した。トマスは驚いて、「神様、仏様、じゃない、イエス様」と言うと、イエスは「見て信じるより、見ないで信じるほうがラッキーよ」とおっしゃったとさ。ちゃん、ちゃん。

おまけ:21章でも、今度は場面がティベリアス湖(ガリラヤ湖のこと)なんだが、弟子たちは、マグダラのマリアがそうであったように、復活のイエスが現れてもイエスだとはわからなかった。真っ先に気づいたのは、例の「愛された弟子」だった。ここでイエスは弟子たちと魚を焼いて朝食をとる。つまり、肉体をもって食事もされたわけだ。でもねー、やっぱり、わかんなかったのよ、誰なんだか。

今日はここまで。へー、先月はすごいなー。書かなかった日は1日だけで30日は毎日書いた。1日に4つの記事を書いたこともあるから、40本くらいの記事を書いた。しかも長文。自分としては新記録、かな。