No. 24.
コメントにならないコメント−39(ヴァメーシュの『イエスの復活』「パウロにおけるイエスの復活」中編)および書き散らし
正圓寺「板彫阿弥陀聖衆来迎図」(さいたま市中央区本町西4-3-15 正圓寺)
江戸時代。全高347.2cm。江戸時代の正円寺本堂欄間。臨終の信者を正法の極楽浄土に迎えるため、飛雲に乗り大勢の聖衆を従えた阿弥陀如来が天空から降臨する様子を描いたもの。
<福田首相> 今日、ケーブルテレビでNHKを観ている日本人のおばさんが、福田首相だけが北京五輪で自国の選手団が通るときに起立礼をしなかった。そのことが問題になっていると聞かしてくれた。ABCで観ていたのでよくわからなかったが、ネットで検索してみたらそうらしい。日本選手団は中国の旗も持っていたので福田首相さん、自国の選手団とわからなかったのでは。扇子使うのにも一生懸命だったしね。
<二言語の疲労性混濁あるいはボケ> 昨日は、眠いのに無理して書いたお陰で散々なできだな。新共同訳を新改訳なんて間違って書いてるし(直しておいた)。そもそも書いていて、頭の中の語順が途中で英語になったりするコンタミネーションというか混濁現象が起こっていた。今日は元気一杯だが、結局長くなるといけないのでいい加減なところで終わることにする。
自分だけなのかもしれないが、混濁現象はバイリンガルの面白い現象で、そうなると英語で話すのも滅茶苦茶、日本語で書き出してもハチャメチャになるのだ。むしろ、日本語でもしっかりしているときは、英語でもしっかりしている。私の場合、後天性二言語なのでとくにそうなのかもしれない。生まれたときからならどうなのだろう。(生まれたときから既に後天なのであるから、後天性二言語という言い方は正確ではないことをあらかじめ断っておく。)
後天性二言語の場合、どちらが先かもあまり関係はないようだ。ハワイの伯母さんの一人は元々英語中心で育ったが、東京の大学に留学したので日本語の読み書きもほとんど自由にできる。ホノルルの日系老人ホームにヴォランティアに行くが、目的は日本語でシニアと話してくることだ。どうしてかというと、若いときに立派に英語を話していたのに、年を取ると母語である日本語でしか話さなくなる人が多いらしい。
私は、米国聖公会の、ある日系司祭が亡くなるまでの二年間、シニアホームを訪問したことがある。会ったときすでに90余歳であった。彼は来米するまでの20年間は、英語のABCも知らなかった漁師だった。アメリカに来て信仰に入り、高等教育を受けた。以後はほとんど日本語を使う機会がなかった。それでも、日本語を話す看護婦さんによると、私が会う少し前までは日本語も話していたらしいが、私が日本語で話しかけても英語でしか話そうとしなかった。日本語では話せなくなったのだ。更に容態が悪くなってきてからは寡黙になり、どちらの言語も面倒な様子だった。
<本 題> パウロが自身の書簡の中で復活についてどのように語っているかをおさらいする。(おさらいするのはヴァメーシュであって、Dr. Marks ではない。ただし、ときどきコメントを差し挿むとか、ヴァメーシュじいさんをからかうことはある。)
検討するパウロの手紙は3種。テサロニケの信徒への手紙第一、コリントの信徒への手紙第一、ローマの信徒への手紙である。いずれもこの名称は新共同訳のものであるが、長くて面倒なので以下、それぞれ第一テサロニケ、第一コリント、ロマ書と略記する。この順序は手紙が書かれた年代順である。すなわち、
第一テサロニケ(51年頃、パウロ46歳頃)
第一コリント(55年頃、パウロ50歳頃)
ロマ書(57年頃、パウロ52歳頃)
今日は、このうち第一テサロニケだけを扱う。なお、これらの書簡は、学者のほとんどが(というか全員)パウロの真筆と判断している書簡である。(パウロ書簡といっても、真筆とはとても考えられないものがあり、真筆であることがほぼ確定しているものとがある。この議論は今ここではしない。講義で1時間くらいかかる。)
第一テサロニケ
パウロが書いたものを考察すると、イエスの復活に関して、歴史上のこととして、あるいは神学上のこととして議論しているというよりは、信仰共同体の中で復活に望みをおく現実の問題として扱っていることがわかる。そして、イエスの復活は、「再臨(パルーシア)」すなわちイエスが再びこの地上に来臨する信仰に連なることになる。(なお、ギリシア語のパルーシアには単なる「来臨」という意味しかない。)
確かにテサロニケの信徒たちは、今すぐにでも復活のイエスが現れて地上の人々を救うとのパルーシアの期待に熱中していた。しかし、同時に、その時を待たずに死んだ人たち、とくに信徒の行方についての関心も高かった。なぜなら、同じ信仰の人がパルーシアに居合わせれば救われるのに、それより先に死んでしまえば、救いのチャンスを逸したまま死の世界にとどまるのであろうか。
パウロはテサロニケの信徒たちに対して、復活への、あるいはパルーシアへの望みを確信させるために、次のようなシナリオを描いてみせた。もちろんこれは、人々の救いの絵図でもあった。(Dr. Marksの陰の声:極めて幻想的であり、阿弥陀如来の来迎図と似ていないこともない。)
イエス・キリストが天から降って来る。大天使が復活のラッパを鳴らす。まず「キリストへの信仰のうちに亡くなった人々」が生き返り、雲に乗って天空へと引き上げられる。雲は天の乗り物であり、空中でイエスにまみえるためのものである。次に、パウロを含めた生きているキリスト教徒が、死ぬという体験なしに、生きたまま生き返った死者と共に携(たずさ)え挙(あ)げられる。(日本語では、「携挙=けいきょ」という神学用語になっているはずだ。)空中でイエスと一緒になり、永遠にイエスと共に暮らすことになる。
以上を一言で言えば、復活と再臨(パルーシア)は一対のものであり、それが永遠の命の救いを保証するものであった。以下は、第一テサロニケ書簡の一部である。ヴァメーシュはもっと長く引用しているが、各位お手許の聖書で該当箇所を確認していただきたい。
兄弟たち、既に眠りについた人たちについては……ぜひ次のことを知っておいてほしい。イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。……主の言葉に基づいて次のことを伝えます。……生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。……大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。……キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。(テサロニケの信徒への手紙第一 4:13−17、新共同訳)
もう一度念をおす。この絵図は西暦50年前後のパウロのものである。この手紙においては、キリストの恩恵を受ける者はキリストに信仰をおいて死んだ者と今現在キリストを信じる者に備えられたものである。
この頃、不思議なことに、パウロは洗礼の儀式を死と埋葬に擬している。もし、異邦人であっても、キリストを信じて洗礼を受けた者は、キリストに信仰をおいて死んだ者と同じこととみなされた。
以上をお読みになって読者はお気づきなように、キリストの復活の恩恵に浴する者は、あくまでもキリストにあって死んだ者とキリストにあって生きている者に限られる。キリスト以前のいかなる義人もこの絵図には含まれず、ましてや善なる者も悪なる者も等しく生き返って最後の裁きにあうというシナリオなどは、微塵も見えないのである。
そうだ、言い忘れた。三つの手紙について、ヴァメーシュは時間的なパウロの思想の変遷を読み取ろうとしている。だから年代順である。しからば、聖書のパウロ書簡はどんな順なのであろうか、と疑問の向きもあるだろう。ロマ書が先なのは重要であるからだろう、とおっしゃる方がある。ロマ書は確かに後期の書簡であり、思想が充実している点では重要かもしれない。しかし、そうではない。重要ということであれば、その他の書簡もそれぞれの意義がある。答は至極単純で、手紙の長さの順に並べただけである。