Comments by Dr Marks

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No. 27.

コメントにならないコメント−42(ヴァメーシュの『イエスの復活』「その他の新約聖書中の復活記事」前編)

前だったら1回分で済む内容だが、なるべく多くの人に読んでもらいたいから短めにする。読者が聖書を紐解かなければならない場所もあるのでそのほうがいいだろう。2回に分ける。今日は前編。

その他の新約聖書中の復活記事であるが、やはり量的には稀である。ヤコブ書、第二ペテロ、第一〜第三ヨハネ、ユダ書では、復活はまったく話題に上らなかった。ただ、ペテロ第一の手紙(第一ペテロ)だけは、今までにない復活概念を我々に伝えており、ヨハネ黙示録は一箇所だけであるが総復活(general resurrection、総復活という訳語は私のものだが全復活でもいい)に触れている。

後者の総復活から見てみよう。実際のところ、黙示録20章の記事は新約聖書の中では特異な描写となっている。旧約聖書や以後のユダヤ教文書とは別で、総復活が一度ではなく二度あると黙示録は述べる。最初の復活はキリストの再臨に連なるものであり、イエスにあって殉教した者たちのためである。そして、千年の間、あの古い蛇(悪魔、サタン)を閉じ込める

この千年が過ぎると、第二の復活が起こる。今度は過去の義人も悪人も皆が一度に死からよみがえらされ、最後に大審判がなされる。Final Event だ! しかし、この黙示録に特有な千年王国という比喩的概念はもちろん、復活が二段間で行われるという神学概念も、キリスト教の歴史の中では、むしろ周辺的なものである。

(陰の声:millennium または millennialism。この秘儀的な概念が比較的話題となったのは古代であるが、面白いことにアメリカ神学史の中で中心的な話題の一つであった長い時期がある。Dr. Marks のお師匠さんの一人である Gundry 先生でさえ、30年前はこの馬鹿げた論争に巻き込まれていたことがある。普通、神学史には一応出てくるものだから言うが、大きく3種に分かれる。前千年、後千年、無千年だ。千年の平和が艱難の前か後か、あるいは千年とは文字通りではないの3種だ。これ以上詳しく知っても時間の無駄だ。)

第一ペテロには、他の箇所には決して出てこないイエスの死後の行動で、英語では Harrowing of Hell (ハローウィング・オブ・ヘル、地獄の奪取または略奪)という神学用語で表現されるものがある。すなわち、刑死後のイエスが三日目によみがえる前に、地獄に向かいそこにいる死人を根こそぎ奪取してくるというものである。イエスの復活から新しい命が再生する象徴として、洗礼がイメージされていることは明らかである。以下を参照。訳はいずれも新共同訳。

私たちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え[られた]。
(1:3)


霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です。この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち八人だけが水の中を通って救われました。(3:19−20)

(陰の声:日本で神学教育を受けなかった悲しさというか、対応する日本語がどうなっているのかわからないものも多い。もっとも、教団教派で異なる訳語もあるのでどうでもいいことはいいのだが。Harrowing of Hell もその一つ。一応、「地獄の奪取」としておく。イエスは死後三日目までただ墓に横たわっていたのではないとペテロの手紙は言う。使徒信条使徒信経)に「よみにくだり」とする場面に該当する。なお、ここで使われる英語の harrow は古い用法で、 harry という動詞と同じ意味であり、「略奪あるいは奪還するために襲撃する」という意味である。簡単な辞書には載っていないかもしれない。)