Comments by Dr Marks

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Dr. Marks の記事中のおかしな日本語(訳語)について―A Note

「聖書のおんな」のような記事は、やはり時間を取って書くしかない。内容は目新しくなくとも、なるべく他にはない記述にしようと願っているからだ。もともと旧約学は専門家ではないので、自分で目新しいことの発見は無理だが、最新の論文などには一般の人よりははるかにアクセスしやすい環境(神学研究所)にいるので、他人(他の専門家)が行っている新しいことがあったら紹介してみようと思っている。今日も Jewish Bible Quarterly Journal for the Study of the Old Testament のここ1年ほどの最新の論文の中からサラやハガルに関する記事を幾つかコピーしたので、読んでみて紹介する価値があったら紹介する。

これらの新しい論文は、まだ評価が安定しているわけではないので、聖書学の常識というか、教科書的というか、あるいは聖書註解的というか、危なげのない見識とは異なるかもしれない。しかし、上記の学術雑誌はいずれも査読(refereeing/review)を経たものであるから、牧師が講壇から勝手な解釈の説教をすることとはおのずと異なる。新しく、ほっかほかである分、わくわくすることも稀にはある。そして、そのような種本で、つまり他人の論文というふんどしで相撲を取るつもりだ。

今回、書いていて、やはり言葉の問題が出てくる。英語のほうが便利な場合は、日本語にどうしていいかわからない。もちろん、反対の場合もある。今回、皆様をして「何だこれは」と言わしめてしまったものは、まず「族母」だったと思う。しかし、お気づきの方もすでに多いと思うものは他にもある。

「プリンセス」という片仮名日本語だ。これをどうして日本語にしないかと言われると困ってしまう。具体的な人になら日本語で表現できるが、ヘブル語のサラーを言い表すには、プリンセスというしかない。つまり、英語のプリンセス(princess)は王の「娘」もプリンセス、王の息子の「嫁」もプリンセスであり、ヘブル語のサラーもそのどちらをも意味するが、日本語では王女(皇女=内親王)と皇太子妃というぐあいに表現が別になってしまう。(ただし、プリンセスも日本語の各対応語も子だけでなく孫も同様に呼ばれることは同じ。)

もう一つは、「きょうだい」という平仮名書きだ。もちろん、女の「姉妹」も含めて「兄弟」と言っても構わないことは知っている。しかし、女も含まれるのに兄弟は抵抗があり、「きょうだい」と表記した。(兄弟姉妹という手もあるかもしれない。)これも英語なら、シーブリング(sibling)という便利な言葉があるわけであり、日本語のときのようには悩む必要がない。 
実は、猫猫先生のブログで、私が「シリアス」という言葉を遠藤周作に関する文脈で使ったことがからかわれている。小谷野先生の悪意のないからかいなのでむしろ喜んでいる。これも弁解しておく。Serious(本気の、生真面目な)はもちろん小谷野先生がおっしゃるように発音は「シアリアス」なのだが、私がその文脈で書いているときに、最初は「純文学」としようとした。しかし、私のように「純文学」が何かわからない者が使うのもよくないので、「真面目な」にしようとした。ところが、その日本語ではいかにも固過ぎるなと思ったときに浮かんだ片仮名日本語が「シリアス」だったのだ。だから、これは日本語化した片仮名英語なのに、猫猫先生は知っていてからかってくださったわけ。