Comments by Dr Marks

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トドさん提供エジプトのユダヤ人(ヘブル人)とマリ文書

トドさんからコメントをいただいたので、関連して写真とWPのウェッブサイトなどを紹介します。このようなコメントは大歓迎です。(コメントは何でも歓迎ですが。)

上の写真は紀元前2000年頃のエジプトにおけるユダヤ人(ヘブル人)の様子である。ベニ・ハサン(Beni Hasan、ナイル川中流沿いにある古代地下墳墓)の壁画の一部だ。ロシア語版WPにあったものだが、顔や衣服がエジプト人と違う。クヌムホテプ2世(Khnumhotep II)の第3墳墓にある壁画である。

この時代から500年ほど下るが、ローマ時代のクレオパトラ女王(Cleopatra VII)に並び、エジプト史上偉大な女王とされるハトシェプスト(Hatshepsut)の神殿がベニ・ハサンの近くにある。この女王は、まさに異母兄弟の王トトモシス2世(Thutmose II、18王朝第4代王)と結婚している。すなわち、きょうだい婚だ。彼女は夫の死後、非常にややこしいのだが、夫の別の妻の子供であるトトモシス3世の後見人として、実際は第5代王(女王)として即位してしまう。同族内での形式婚(夫婦生活をしない)も疑われるが、実際に二人の間には娘が一人いたとされる。この女王については日本語版WPがある。

マリ文書(Mari Tablets)とは、ユーフラテス川沿いの古代シュメールの都市マリ(現シリア領内)で発見された膨大な量(23,000枚)の楔形文字で書かれた粘土文書のことである。そこにアブラムという名前もあるそうだ。ふと、思い出したが、津村俊夫という先生をご存知だろうか。こちらでは David T. Tsumura の名前で知られていると思う。ブランダイス大学で Ph.D. を取られた聖書宣教会神学校の先生で、この辺りの分野の専門家だ。クロコダイル先生と同じ筑波大学助教授だったらしいが、猫猫先生大阪大学助教授を辞めたみたいに(なのかどうかはわからないが)辞めちゃったんだね。

トド 2008/09/17 19:40 (トドさんからのコメント
紀元前1900年頃のエジプトの貴人(クヌムポテプ)の遺跡が、1890年ごろカイロから南300K離れたナイル川沿いのベニ・ハサンで発掘調査され、そこに族長時代と思われるセム人一行の彩色壁画(砂漠の遊牧民を細部まで忠実に描いている)が見つかってますね。壁画は遊牧民の集団がエジプトに入国した際の挨拶と貢物を送る風景のように見えます。書かれた象形文字からその一行のリーダーはアビシャイとか・・・サムエル記にも出てくるセム人系によくある名前でしょうか。衣服、髪型、履物、楽器の八弦琴など当時のセム人の風俗の一端を教えてくれます。カナン人はエジプトの影響化にあった時代が長く、カナンの地で飢饉が度々起こってエジプトに避難した事が多かったのは、やはりナイル川の肥沃な地があったからでしょうね。パスポートは要らなかったと思いますが(^-^;;)、国境で詳細な入国記録がパピルスに赤インクで記録されて送られたとか・・・族母は美貌のサライで他女性何人とか。オリエント全体の歴史を勉強しなければならないと思います、でもあまりに膨大で素人ではなかなかに(汗)。

以前、発掘されたマリ王国について本とか資料を読んだことがありますが、その時代に族長時代の影があるようなないような・・・良く分かりませんが、出土した図書館の粘土板には、マリ中央政府と地方行政官との往復文章に「・・・ペレグ、セルグ、ナホル、テラ、ハラン」の地名が登場しているようで、アブラハム系図と一致するようです、更に時代的には変ですがベニアミン人と言う種族の名前も。もしかしたら地名から族長の名前をつけたのかも(逆もありですが)。旧約聖書の記述には、歴史的事実が多く含まれていると感じます。しかし、なにぶん古い私の記憶なので、素人のたわごとに近いもので・・・恐縮です。