Comments by Dr Marks

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 第5章

忙しくて間が長くなってしまったからカテゴリータグを付けた。これで終わりではない。もう1章残っている。まあ、面白くもない小説が、まだ続くのだ。

アイザック・シンガー原作『チビの靴屋たち』 (もう一つのギンペル物語)

第5章 大西洋を渡る

その日を境に、アッバの生活はわけがわからないものになってしまった。まるで聖書で読んだ話のようでもあり、巡回説教師の口から聞いた不思議な物語のようでもあった。祖先の家と自分が生まれた土地を捨て、杖を持って族長アブラハムのごとく世界をさ迷いだしたのである。

フランポールの町と周辺の村々の甚大な被害は、炉が燃えさかっているようなソドムやゴモラを想起させるものであった。他のユダヤ人と一緒に墓地で幾晩か夜を明かした。頭を墓石にのせて寝るのだが、べエル・シェバからハランに向かう途中、ベトエルでヤコブがしたようなことを、アッバもすることになった。

ロシュ・ハシャーナ(ユダヤ暦の新年)に、フランポールのユダヤ人たちは、森の中で礼拝した。最も荘厳な十八福の祝祷アミダーは、祈祷ショールを持って逃げたのがアッバだけだったので、彼が務めることになった。祭壇に模した松の木の下に立ち、ロシュ・ハシャーナからヨム・キップールまでの畏怖と悔悟の日々ヤミン・ノライームの連祷をしわがれ声で詠唱した。それにカッコー鳥とキツツキが唱和すると、次は遠巻きの鳥の全てが、ちっちぴっぴとさえずったり、高い声で鳴いたりした。

晩夏のくもの糸が空中を漂ってきてアッバのヒゲにまつわりついた。時折、森を抜けて、雄羊の笛の響きのような低い音がした。贖いの日が近づくと、フランポールのユダヤ人たちは、覚えている限りの片言隻句で免罪の祈りをするために夜中に起き出した。周りの草地にいる馬はいななき、冷えた夜にはカエルがしわがれ声で鳴いた。

その合間に、遠くで銃声が聞こえることもあった。そのときは雲が赤く輝いていた。流れ星が落ち、稲妻が空を横切って光ることもあった。小さな子供たちは空き腹をかかえ、泣き疲れ、母の胸に抱かれたまま病気で死ぬことも稀ではなかった。多くの者が、そのまま野に埋葬された。そうかと思うと、出産する女もあった。

アッバは、曽祖父のそのまた父の高祖父になった気がした。高祖である先祖は、十七世紀に起こったチミエルニツキの大虐殺ポグロムから逃げたと、フランポールの年代記に名が記された人だ。アッバ自身の名も殉教の聖別された中に入る覚悟ができていた。彼は司祭の姿や異端審問を夢想した。木々の間を風が抜けるとき、彼は殉教のユダヤ人が「聞け、イスラエル、我らの神なる主、主はただ一人」とシェマーを叫ぶ声を聞いた。

幸いにしてアッバは、持っている現金と靴屋の道具で多くの善良なユダヤ人を救うことができた。彼らは数台の馬車を借りて南のルーマニアに向かって逃げた。しかし、しばしば馬車を降りて長い距離を歩かなければならず、靴が傷み切ってしまう。するとアッバがそのつど木の下で立ち止まり靴直しの道具を取り出した。

神のご加護によって、彼らは危機を乗り越え、夜間にルーマニアの国境を渡った。次の朝は、ヨム・キップール(贖いの日)であったが、たまたまある年老いた寡婦がアッバを自分の家に引き取ってくれた。彼女の助けでアッバは、アメリカの息子たちに、彼らの父は達者であると電報を打つことができた。

当たり前だが、アッバの息子たちは、ナチの災難から年老いた父親を助け出すために、あらゆる手立てを講じていたところだった。この電報で居場所がわかると、すぐにワシントンにまで出かけて、大変な苦労をしてアッバのビザを取得した。それからブカレストアメリカ領事に電信為替で十分な金額を送り、父親の渡米を助けてくれるように嘆願した。

領事は人を送って、アッバをブカレスト行きの汽車に乗せた。ブカレストで一週間過ごした後、イタリアの港に向かったが、その港で毛を剃られシラミを駆除されて、衣服も熱湯消毒された。彼の乗った船は、アメリカに向かう、まさに最後の便であった。

アッバの旅は長く苦しかった。ルーマニアからイタリアへの汽車はだらだらとしていて、山を登ったり下ったりしながら、三十六時間もかかった。その間、食事は支給されたが、コーシャでないものや宗教上さわりのあるものを食べてはいけないと思って、何も口にしなかった。

経箱や祈祷ショールはすでにどこかでなくしてしまい、それらとともに時間の感覚を失ってしまったので、もはや安息日と普段の日の区別も付かなくなっていた。乗客の中で、明らかに彼だけがユダヤ人だった。船ではドイツ語を話す男がいたが、アッバはそれもよくわからなかった。

荒海を渡る船旅であった。アッバはほとんど寝たままで過ごし、何度も胃液を吐いた。食する物といったら乾いたパンと水だけで、嘔吐しても出てくるのは苦い液だけだった。寝ていたといっても、昼も夜も船のエンジンの振動があるし、地獄から出るような長い恐ろしい警笛がなるので、まどろみさえままならなかった。船室のドアは絶え間なく開いたり閉まったりして、まるで小悪魔が乗って揺らしているようだった。戸棚のガラス食器は震えて踊りだし、壁は揺れ、床は揺りかごのように動いた。

日中の明るいうちは寝台から船の窓を見つめ続けた。船が空に上るかのように跳ね上がるかと思えば、世界が元の混沌に戻るかのように、その切り裂かれた空は崩れ落ちる。すると船は、まるで逆さまになって大海に飛び込むようであった。それからもう一度、天空は創世記に記されたように空と海とに分かれる。波はイオウの黄色と黒色でうねっていた。

今や波は、水平線にノコギリ歯の山の端のようにせりだしている。アッバは詩篇の「山々は雄羊のように、連なった小さな丘は子羊のように踊った」という言葉を思い出した。それからもう一度、葦の海が左右に分かれたように、波は高く持ち上がった。

アッバは無学な靴屋ではあったが、聖書からのエピソードは次から次に浮かび上がり、今や自身を神の許から逃げたヨナになぞらえていた。ヨナのように、彼も鯨の腹に横たわり、神に救いを求めて祈るのであった。そうかと思うと、今度は海の中ばかりではなく、蛇がはい回る果てしない砂漠ともなるし、更にイザヤ書の曲がりくねる蛇レビヤタンや海にいる竜にもなった。

彼は夜中中一睡もできなかった。体をほぐそうとして起き上がると、めまいを感じてふらついた。満身の力を振り絞って脚と膝を伸ばして歩き出すが、船室からいったん出ると方向を失い、狭く曲がりくねった廊下を唸りながらさ迷い、船員が来て自分の船室に戻してくれるまで助けを呼ばわらねばならなかった。

そのようなたびごとに、彼はもうこれで死ぬのだと思った。ユダヤの民にふさわしい埋葬の儀式は受けられず、ただ大西洋の藻屑として海に投げ捨てられるのだろう。だから彼は、ごつごつしたこぶしで胸を打ちながら「父よ、お許しください」と叫んで、懺悔の祈りを怠らなかった。

アッバは、今度の旅がいつ始まったか記憶しているのが困難だったように、いつになったらアメリカに着くのかなど、まるでわかりはしなかった。だから、ニューヨーク港の埠頭に船が横付けされてからも、アッバにはとんと理解できなかった。彼は窓外にそびえる大きなビルやタワーを目にしながらも、ただエジプトのピラミッドであるとしか思えなかった。

白い帽子を被った背の高い男が船室に来て彼に何か大声でどなったが、意味がわからないのでそのまま動かなかった。結局は船員らが手伝ってアッバに洋服を着せ、息子たちやその妻たち、更に孫たちが待ち構えるデッキに連れ出した。

アッバは、それでも訳がわからない。彼の前にいる一群は、どうやらポーランドの大地主に、伯爵と伯爵夫人、それに彼らの令息と令嬢たちだ。この一群は飛び上がって彼に突進し、抱きつきキスをした。叫んでもいるが、その言葉はイーディッシュでもあるし、何かわからない言葉も一緒だった。

彼らはアッバの手を引いたり抱きかかえたりしながら、一台の自動車の中に座らせた。他にも数台の自動車があって、一族が皆乗り込むと走り出し、放たれた矢のように橋や川や屋根の上を高速で走りぬけた。ビルまたビルが、近づいたかと思うと魔法のようにたちまち遠のき、その中のいくつかは天にまで届く高さだった。

眼前に大きな町が広がっているのを見ると彼は、これは出エジプト記にあるエジプトの町ピトムかラムセスだ、と思った。車が余りにも速く走るので、街行く人たちが後ろ向きに歩いているように彼には見えた。町は雷鳴と稲妻に満ちている。結婚式と大火事が一緒になったようで、太鼓とトランベットがうるさいし、人々は粗野になり、異教徒の祭の真っ只中・・・そのような雰囲気だった。

息子たちがアッバの周辺に群がったとき、霧の中で彼らを見たので、誰のこともわからなかった。彼らはアッバのように背が低く、皆が白髪になっていた。息子たちはアッバがつんぼでもあるかのように大声で叫んだ。
「私はギンペルだよ!」
ゲッツェルだ!」
「フェイベルさ!」

老人は両目を閉じて何も答えなかった。彼らの声が一緒になって、全てが混乱の中にあり、天地がひっくり返っていたのである。すると突然、彼はヤコブがエジプトに着いたときの様子を思い出した。そこでヤコブが、パラオの戦車で出迎えられたのだ。前世での経験を、今また繰り返しているように感じた。

彼のあごひげが震えだした。かすれたすすり泣きが彼の胸から立ち上がってきた。うろ覚えの聖書からの一節が彼の喉を打ったからだ。やみくもに息子たちの一人を抱きながら、泣き声で言った。
「おお、お前か、生きていたのか。」
そう言いながら彼は、ヤコブがヨセフに言った言葉のつもりでいた。すなわち、
「我、今は死ぬるもよし。汝、なお生きており、汝の顔を見ること得たればなり。」