Comments by Dr Marks

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When My Ship Comes In(私の船が着いたら→私のくじ[馬券]が当たったら)と

ティーアメリカ経済改革構想

今晩も予定が大幅に狂った。夕食後の7時すぎに自宅の机に座ろうとしたら緊急電話だ。(因果な商売だな。)高速を使っても中途半端なので下の道をサンタモニカ市モンタナ街の目的地に急ぐ。急ぎすぎて道を確かめずに出発したので、目的地付近でぐるぐる回りする羽目になった。急ぐときほど、探しあぐねてグルグル回りするより、グーグルマップを確かめるべきだった。

結局、10時過ぎに帰宅し、少しのどを潤おしてから、トドさんからコメントが入っていたのでレスを送る。そして今、『聖書のおんな』シリーズとは別の小話でお茶を濁そうとしている。(そうだ、お茶飲もう。おーい、お茶―、なんちゃって。)

今、我が家あたりでも、アメリカ経済に振り回されている。(アメリカにいるアメリカ人なら当たり前だ。)10月には遠来の客人を迎えるし、11月には固定資産税の半分の支払い時期だし、11月の感謝祭の前にはボストンでの学会に出掛けて5泊する。飛行機代もホテル代も請求書が来たら払わなければならない。つまり、現金がいつもより必要になっているのだ。

何とかその頃に支払えるように現金化(liquidity)できる手立てが必要だ。大した金でないのに貧乏人の定めで、結構、あちらこちら奔走して用意している。そんなときに、ある年配のご婦人と話していて、「まあ、ロット(宝くじ)が当たったらね」と言ったら、「マーク、そんなときは、私の船が着いたらば、と言うのよ」と、たしなめられてしまった。教育のある(?)年配ご婦人にはいつも頭が上がらない。(実際は、誰にも上がらない。)*1

その英語は、"when my ship comes in" である。直接の意味は「私の船が到着すれば」だが、歴史的な説明が必要かもしれない。昔の航海は常に賭けであった。船主たちは船長に頼んで航海のうえ貿易をしてもらうが、途中で難破されたら、元も子もなくなってしまう。(つまり、子=利子どころか、元=元金もパーになる。)しかし、うまくいけば巨万の富を手にすることもできる。多くの人から出資金を募る場合は、猫1匹預けて大金という話もありうるのだ。

そこから、この when my ship comes in という表現は、くじや馬券に当たることに転用されるようになった。つまり、「ロット(lot, lottery)に当たる(win)」などという直接的な言い方より上品というわけだ。

今日の YouTube は、1934年、すなわち大恐慌の数年後の Betty Boop 嬢の白黒漫画映画である。(この漫画の後の女児にはべティーという名が流行っちゃった。)べティーが大当たりして、みんなに金(かね)を配るという夢を見る。そして、経済が活発化して、全米が豊かになるという夢だ。今こそ、この楽天的な夢が必要かもしれない。6分以上の動画だが、面白いよ。*2

*1:宝くじを買う、などというと、眉をひそめるクリスチャンが多いが、「くじ」は新旧約聖書にいくらでも出てくるのだ。私のお気に入りは、箴言16:33の「くじは膝の上に投げるが、ふさわしい定めはすべて主から与えられる」。

*2:動画の中で「静かな牛乳配達」が馬車に消音の布をかけて通っていく場面がある。朝早いからだが、ご先祖様の一人が早朝、というより深夜に、酪農農家までミルクを取りに出掛け、町で一軒一軒配って歩いたという話を思い出した。19世紀後半の話だが、昔の人は偉かった。そのとき15歳くらいだったようだ。