Comments by Dr Marks

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No.5

『聖書のおんな』―3. ハガルの巻(1.ユダヤ教ラビの伝承から)


今日のおまけ動画はバレー『ファラオの娘』、といってもハガルじゃない、ソロモンの嫁さん(列王記 上3:1)でもなかった、マリウス・プティパの物語

ハガルはサラの巻の続編としてトビト書に出るサラと一緒に紹介する予定だったが、ハガルはやはりサラのおまけとするのは忍びないと思った。そこで、ここに3人目の「おんな」として書くことにした。(トビト書のサラについては、旧約聖書続編付きの新共同訳聖書を買うか、その部分は短いから立ち読みでもしてほしい。すまん。あっ、本屋さんにもすまん。)

ハガルという女は、イシュマエルを産んだときに、いったい何歳なのかもわからないし、エジプトから来たときの年齢も、また死んだときの年齢もわからない。わからないことは、サラにくらべれば、更に多いだろう。ところが、不思議なことに、ユダヤ教の伝承の中では面白い話も残っている。彼らのミドラーシュの中には次のようなことが書かれている。*1

まず、よく知られていることではあるが、ミドラーシュの一つ「ベレシート・ラバー」45.1(בראשית רבה)では、ハガルはファラオの娘である。どうしてファラオが自分の娘をサラに上げたかというと、ファラオは心底サラを好いていて、さまざまな土産のほかに彼女をプレゼントしたことになっている。もっとも、これがユダヤ教主流の解釈と考えてはならない。

また、「ミドラーシュ・タンフマ」(מדרש תנחומא)という註解書は、イシュマエルと共に追放されたハガルがサラの死後アブラハムの許に戻ったと記している(Parashath Chayei Sarah 8)。つまり、旧約聖書25:1の新妻ケトラとは、実はハガルだというのである。驚き桃の木山椒の木である。一つの理由は、ハガルの行いが「香の捧げ物」(すなわち「ケトラ」)のように甘く香しいものであったからだ。そのほか、別人であるという意見のラビたちがいることも紹介されている。真偽のほどは、浅学のため私などは判断しかねる。

ケトラという名前の意味が出てきたところで肝心の「ハガル」の意味であるが、マーティン・ノート(Martin Noth)は、60年も前の著作の中でアラビア語の hajara(「移民」の意)ではないかと言っている(Überlieferungsgeschichte des Pentateuch. Stuttgart: Kohlhammer, 1948)。少なくとも、アブラハム、サラ、イサク、イシュマエルのようには聖書中で名前の意味の説明がないのであるから、ヘブル語起源ではないと考えてよいのかもしれない。

以上は、旧約聖書正典には現れない雑音のようなものである。教会の日曜日の説教には出てきそうもないので紹介したのであるが、ハガルという「聖書のおんな」を考える際に、役に立つどころか邪魔になる場合もある。正典聖書のテキスト(本文)をろくに読まず、今回の記事のような目新しさや奇妙な部分に捕らわれるとすると、その危険性は増大するだろう。次回は、旧約聖書そのものに集中することにする。

*1:Midrash は旧約聖書ユダヤ教側の註解書の一群であり、特定の一書ではない。記録されている伝承の元は紀元1−2世紀の古いものと思われるが、さまざまなミドラーシュの成立年代としては5世紀前後が多い。