Comments by Dr Marks

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No.6

『聖書のおんな』― 3. ハガルの巻(2.聖書本文から)完結篇

ハガルの登場は16章の冒頭だ。前回見たユダヤ教ラビの伝承とは異なり、素っ気なく「ハガルというエジプト人の女奴隷がいた」と紹介されるだけである。

そして、サラが夫アブラハムにハガルのところに「入れ」と頼み、夫はハガルに「入る」。現代語訳で、この「入る」を直接的に「性的に入る行為」と訳しているものがあったが、辞書的に調べた限りでは「花婿のテントに入る」か「花嫁のテントに入る」という意味はあっても、そのような直接的な意味はなさそうだ。

かくして、サラはサロゲイト・マザー(surrogate mother、代理母)で子供を得ようとするわけであろうが、現代のように自分の受精済み卵子を預けるわけではないから大変だ。それでは族母にはなれないからだ。しかし、サラは明瞭に「私はハガルによって子供を与えられるかもしれない」と述べている。

どういう意味であろうか。ハンムラビ法典の146条に、「妻が夫に女奴隷を与え、その女が夫の子を産んだら、その女も妻とみなされる」とはあるが、サラが言うようなことはない。しかし、その意味を巡って、ヌジ文書の記述が明瞭に示すものがあった。ヌジ文書(Nuzi Texts)とは、チグリス川の東、イラク北部のキルクーク(Kirkuk)の近くにあるヌジから出土した膨大な楔形粘土文書である。聖書にホル人(Horites)として登場する民族がアッカド語で記したものであり、紀元前15世紀以前のものとされる。Anchor Bible から日本語に訳して引用する。

もし、ギリムニヌ[妻の名]が子供を産んだら、シェンニマ[夫の名]は他に妻を求めてはならない。しかし、もしもギリムニヌが子供を産めなかったら、ギリムニヌがシェンニマのためにルルの国から妾の女を連れてこなければならない。その場合は、ギリムニヌが[妾の女から]生れた子供たちの[族母としての]支配権を持つ。(AncB 1:120)

ところが、生(な)さぬ仲の悲劇は、まずハガルの態度に端を発するのだが、サラにもハガルの態度の豹変を誘発するような原因がないとは断言できまい。ともかく、アブラハムは、ほいほいとなのか、しぶしぶなのかは知らないが、サラのこの「願いを聞き入れる」こととなった。うむ、サラとすれば、アブラハムが聞き入れたときから悋気の虫が這い出したのかもしれないな。

ハガルがエジプトから連れてこられて十年後であると記されているが(16:3、これはJ=ヤハウェスト本文ではなく、説明的P=プリースト本文であるとされる)、年齢がわかるわけではない。多分、サラの身の回り役のメイドであるなら、十代にサラの家に加わったとしてもハガルは二十代であり、子を産む条件はよく整っていたはずである。

結局、身ごもってみると、ハガルは若さゆえもあるだろうが、女主人のサラを見下すような態度を取るようになってしまった。身から出た錆のハガルは、年上(間違いなく)でやり手のサラによる猛烈ないじめにあい、サラの家から遁走する。アブラハムは何も言わない。むしろ、サラに、お前の奴隷なのだからお前のいいようにしろ、と言って逃げた結果がこれなのだ。

ハガルは逃げる。身重の女が一人、砂漠の中を逃げるのだ。逃げている道は、故郷エジプトに通ずるシュル街道であった。ただでさえ困難な旅路であるのに身重のハガルが行きあぐねていると、泉のほとりに辿り着く。しばし、ほっとする心持でいると、見知らぬ人が(説明的には「天使」であるが)正確にハガルの名を口にして挨拶してきた。

「ハガルよ、あなたはどこから来て、どこへ行くのか」という言葉は、かならずしも質問と取ってはならないだろう。旅にある者同士の挨拶にすぎない。ところが、ハガルは文字通りの質問と取り、女主人から逃げている奴隷だと答えてしまう。天使は「女主人の許に帰り、従順に使えよ」とアドヴァイスする。また、彼女に子孫の繁栄(すなわち、ハガルも族母)を預言し、今生れてくる子にはイシュマエル(ישמעאל、「神聞きたまふ」の意)と名づけるように命じた。

聖書は、天使を送ってくれた神にハガルが感謝し、「あなたこそエル・ロイ(אל ראי、私を顧みられる神)」とたたえて(16:13)、天使の命じるままにサラの許に帰ったと考えることができる。アブラハムが、ハガルの希望通りに生れた男の子にイシュマエルと名づけ(16:14)、ハガルとイシュマエルはサラやイサクと生活を共にしていたからである(21章)。

一度逃げたところへ戻る気持ちはどのようなものであろうか。天使からの助言がなければ戻る気持ちにはなれなかったに違いない。頼りのアブラハムさえ、サラの言いなりであったのだから。しかし、ハガルを顧みられる神の存在が、ハガルを強くした。あるいは、胎内の子の無事な誕生のためにも、いざ帰らむ、との思いが湧いたのかもしれない。

ただ、ハガルがサラの許に帰るに当たって、我々が忘れてはならないことがある。サラの子供はハガルを通して与えられると、サラ自身が願ったことは(16:2)、ハガルの帰還を前提としなければ実現しなかったとも考えられるからだ。

何を馬鹿な、神がかり過ぎる、と思うかもしれないが、ハガルとイシュマエルの姿を毎日見せられるサラやアブラハムのことを考えてほしい。悔しさからであろうと、イシュマエルの愛くるしい姿からであろうと、私も欲しいとサラが強く思うのも自然だし、サラにも与えてやりたいと思うアブラハムの願いも自然なのではなかろうか。(イサクが生れたのは、イシュマエル誕生の14年後であった。)

アブラハム、サラ、ハガル、イシュマエルの4人家族の生活は続く。実に、13−14年の長きにわたってであった。そして、イサクがサラに与えられてからは、5人の家族生活が続くが、とうとう「イシュマエル、イサクをからかう」事件(21章)によって、ハガルはイシュマエルと共にアブラハムの家から追放されることとなった。*1

先の「ハガル遁走事件」(16章)では、アブラハムが、サラの好きなようにせい、ということから始まってハガル自身が家を離れたのであるが、今回は事情が違う。まず、アブラハムが非常な苦境に立たされて悩んでいると、神がアブラハムに助言する。「思い悩むな、サラの言うようにしなさい。私がイサクもイシュマエルもよいようにするから」と。

神がアダムとイヴに皮衣を着せてエデンの園から追い出したように、アブラハムはパンと水の皮袋を与えてハガルとイシュマエルを家から追い出した。ハガルの行き先は、私の心証ではエジプトではないかと思う。アブラハムがそのように指示したはずである。あるいはアブラハムの親族の一人に託すつもりであったのかもしれない。ただ、不思議なのは、アブラハムほどの族長が、供の者を付けなかったことである。供の者を付けなかったことから、次のストーリーが可能となる。

パンと水の皮袋を与えて追い出したのは早朝であった。まさしく「追い出した」のであるが、新共同訳は「連れ去らせた」と意訳している。ここの原語には「見送る、送り出す」の意味があり、「永久の別れ」が含意される。

さて、先に16章16節のイシュマエルの誕生時のアブラハムの年から逆算したこの子の年は14歳かそれ以上のはずであった。しかるに、この物語(21章)では幼時のように見受けられる。

事実、ヘブル語テキストを基にした新共同訳によれば、「背中に負わせて」が「子供」に掛かるのか、「パンと水の皮袋」に掛かるのか、あるいは双方に掛かるのか曖昧に訳している。多分、意識的な<曖昧訳>である。ヘブル語原文がそうだからだ。英語などの現代語訳も多くは<曖昧訳>となっている。ところが、七十人訳ギリシア語や古代シリア語訳では、明らかに子供もハガルの肩に背負わされている。(Westermann は、我が子イシュマエルを抱き上げてハガルの肩に最後に乗せたのが父アブラハムであるから、目的語の分離があったとの解釈も可能という。英語版2:341)

子供が肩に乗っていてもいなくても、ハガル一人で持てるパンや水には限りがある。べエル・シェバ(「七の泉」の意、「7個の泉」ではないことに注意、多分「七[つの誓い]の泉」)というネゲブ砂漠の荒野まで辿り着いたときに、水の皮袋の底が尽きた。

ハガルとイシュマエルはどれほどの道のりを歩いたのであろうか。このときアブラハムの宿営がどこであったか正確にはわからないとしても、仮にマムレすなわち現在のヘブロン市の辺りと仮定してみよう。現在のべエルシェバ市まで南に向かって直線で40キロほどの距離だ。恵まれた天候で健康な人が素手で歩いても一日掛かる。子供を連れて(あるいは背負って)さ迷うのであるから、何日後であったかわからない。ともかく、ハガルの故郷エジプトは絶望的に遠いことを想像いただこう。

ハガルは、幼い我が子が脱水と疲労で弱り果て、命の長くはないことを悟った。我が子が死ぬのを間近で見るのは忍びない。「一本の潅木の下に寝かせた」と新共同訳が表現するように、ネゲブの砂漠には大人に影を与える背の高い木などなく、子供を寝かせるほどの低木(潅木、שיחם)しかなかったのであろう。「矢の届くほど」の距離で子供を見守った。自身は暑い日差しの中にいたのであろうか。

ついに、辛さから「声をあげて泣いた」のだが、ヘブル語テキストに基づく新共同訳によれば、声をあげたのも泣いたのも母親ハガルである。しかし、七十人訳ギリシア語テキストは、声をあげたのはハガルだが泣いたのは息子イシュマエルとなっている。その直後に、「神は子供の泣き声を聞かれ」たとあるからであろうが、いずれにしろ神は彼ら二人の悲しみの叫びと泣き声を聞かれたことに変わりはない。

早速、神は天から御使い(天使)を遣わして、次のようにハガルを励ます。創世記の中でも最も感動的な一節の一つである。(上手な説教師にかかると、ここで泣かされちゃうんだよなあ。私は泣かさないけど、天使の言葉を新共同訳の日本語で引用する。)

ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。立って行って、あの子を抱き上げ、お前の腕でしっかり抱き締めてやりなさい。わたしは、必ずあの子を大きな国民とする。(創世記21:17b−18)

「恐れることはない」と天使が言う。私は、恐れることはない、と聞くと、申命記モーセヨシュアと全イスラエルに檄を飛ばすシーンを思い出す。「強く、また雄々しくあれ。[中略]恐れてはならない。おののいてはならない」(申命記31:7−8)。昔聞いたこのシーンのヘブル語の歌が今も耳に残る。英語の don’t に当たるヘブル語の否定命令語の頭に付けるものは二つあるが、檄を飛ばすときのものは「ロー、לא」である。しかるに、ここでハガルに天使がいう don’t は「アル、אל」だ。

本当は、ヘブル語には否定命令形(negative imperative)など存在しない。禁止を意味するときの一般的なものは「ロー」を未完了形(imperfect)の動詞に付けるものだ。十戒はこの形である。私が今も耳に残る歌では、この「ロー」の部分を何度も繰り返して(つまり、ロー、ロー、ロー、ローと)歌われ、次第に鼓舞されて「恐れない」気分が高まる。

これに反して、「アル」は jussive という動詞形(日本語で古典語を学んだことがないのでどういう文法用語になるのかわからないが、一種の命令形)と結び、穏やかで優しい禁止を表現する。以上は、私の初歩的なヘブル語の文法知識なので専門家に今度確認しておくが、ともかくハガルは柔らかい調子で優しく「恐れなくてもいいよ」と慰められたと私は思っている。(15章1節で、アブラハムに言われた「恐れるな」もこの「アル」だった。)あるいは、素人の恐ろしさで、とんでもない勘違いかもしれない。

そして、「神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた」と言われ、ハガルは、はっと気を取り戻し、あるいは正気になって「イシュマエル」という名前を与えられたことを思い出さなかったであろうか(16章)。イシュマエルとはまさに「神聞きたまふ」という意味である。更に、「あの子を抱き上げ、お前の腕でしっかり抱き締めてやりなさい」と言われて、ハガルは立ち上がり、我が子をかいなに抱く力さえ与えられる。

人間は、ある日ある時、見慣れた光景や見慣れた日常が、一瞬にして変わり、新しい意味が与えられるという経験をすることがある。宗教的体験といえば大袈裟だが、見れども見えぬ金縛りのような状態にいて、突然の解放と視野の拡大ということなら、体験された方も少なくないだろう。更に、難しい数学の設問や困難な問題を抱えていて、突然に解法が与えられるということなら誰しも経験することに違いない。わかってみれば、どうして今まで気づかなかったのだろうということだ。

ハガルの目が開く。目の前には枯れ井戸ではなく、水のある井戸があるではないか。二人は十分に飲んで息をつく。神はイシュマエルと共におられた。まさに預言者サムエルがそうであったように(サムエル記上 31:19)。そして、彼は弓を射て生計を立てる者となり(Westermann によれば、族長物語の中で唯一の武器の例。そういえば、戦いの話はあるが、武器は登場していない。英訳版 2:343)、彼のためにハガルは故郷エジプトから嫁を迎える。それなりに幸せな余生となったであろう。以上で、ハガルの物語は終わる。

*1:この「からかい事件」については前記事を参考にしてほしい。