Comments by Dr Marks

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本の紹介:Hitler’s Private Library (2008年10月刊)― ブログ・シャバートではあるのだが


Timothy W. Ryback, Hitler's Private Library: The Books That Shaped His Life (Hardcover), New York: Alfred A. Knopf, 2008

他の聖書学関係と哲学の本と一緒に注文した一般書だが、届いたので真っ先に速読してみた。結論:日本の出版社さん、それほどの本じゃないよ。著者 Timothy W. Ryback が紹介しているような(229−232)ドイツ語や英語で書かれた先行研究のほうがいいかもしれない。

著者は学者ではない。現在フランスにある公益団体の職員であるが、自分もユダヤ人の背景があるからか、ホロコースト関係の著書があるようだ。名前を検索すればそれらの情報はすぐ見つかる。

本書の標題は、『ヒトラーの個人図書館』と訳せないこともないが、『ヒトラーの個人蔵書』のほうが適切であろう(libraryは「蔵書」、個人図書館や書斎はむしろstudyが英語的語感だ)。ヒトラーが本好きであることは有名だ。第一次世界大戦に兵卒として従軍したときも、自殺に至る最後の日々も、常に本を離さなかったことは本書でも明らかにしている。

彼の読書の傾向は、何らかの傾向があるというより、むしろ乱読であろう。ただし、ユダヤ人を良く書いている自国の作家より、悪く書いている他国の作家のほうが好きである傾向は若いときからのようだ。読書する言語はドイツ語だけである。愛読書と言われる『ドン・キホーテ』も『ロビンソン・クルーソー』も『アンクル・トムの小屋』も『ガリヴァー旅行記』も『シェークスピア全集』もドイツ語訳で読んだ。

本の一部は立派な革で装丁しているが、この豪華さが、後述するように、彼の蔵書が散逸した原因の一つかもしれない。ヒトラーは本を積読で大事にするだけではなく、実際に、彼自身の言によれば毎晩一冊は読破したそうである。本によっては、欄外の書き込みや記号のみならず、丁寧に読み込んだ形跡が見受けられる。

もっとも寄贈書もあるらしく、フランス装丁のページが切られていないものもある。ヒトラーはもらうだけでなく、彼自身、部下の誕生日のプレゼントに気に入りの本をプレゼントしたそうである。また、ナチの党員なら読んでおくべき本のリストなども配布したし、読了した翌日に著者に手紙を出すなど、本を読むことは生涯の生活の大きな部分であったらしい。本書の著者であるライバックは、人の話は一切聞かなかったヒトラーが、本に書いてあることには耳を傾けたらしいと皮肉っている。

本書は、アメリカ議会図書館にある1200冊のヒトラー蔵書とブラウン大学にある小部数のヒトラー蔵書に基づいて書かれたことになっている。しかし、前述のごとく、先行研究の本による助けはあったはずである。このアメリカが持つ蔵書にあるさまざまな書き込みなどから、ヒトラーの知的・心理的内面に迫るというのが本書の謳い文句であったから購入したのであるが、事実はヒトラーの既に知られた個人史の中に申し訳程度に蔵書が登場するだけであるから、私としては落胆した次第であるし、そのつもりの人にはお薦めできる本ではない。

しかし、ヒトラーの本に関わる先行研究や個人史を簡単になぞるためには役に立たないこともないであろう。そもそも、蔵書は蔵書の主を語るという前提が、私などは間違いだと思っている。学者なら、学者の蔵書と書き込みは、その学者の思想形成を知るよすがとなるかもしれないが、それも限定的だと思っている。歴史に携わると、そのような方法論にはどうしても懐疑的になる。例えば、誰かが私の書棚を見たところで、私を理解できはしないであろう。

ヒトラーの本は主なところだけで3箇所にあったとされるが、全体を整理する訓練も意図もないヒトラーはほとんど部下に任せていたようだ。連合軍の占領が始まると、彼の本はロシア兵もアメリカ兵も格好のみやげになって略奪された。とくにヒトラーが自分のイニシャル入りのモロッコ革で豪華装丁した本などは、私もくすねたかもしれない。

本書の著者ライバックによると、アメリカ議会図書館に来ることになった本は、兵の個人的略奪を逃れたベルヒテスガーデンの岩塩採掘坑に隠されていたものだ。実は、1200冊ではなく、3000冊が運び込まれたが、当時整理した司書が、残りの1800冊を一般書架に振り分けたり廃棄したために(多分、重要と思われた)1200冊だけになったようだ。しかし、今では、アメリカ議会図書館の中でどれが1800冊の一部なのかはわからなくなってしまっている。

ブラウン大学の分は、同様にアメリカ兵が持ち帰ったものを兵の遺族が寄贈したものである。今でもしばしばヒトラーの蔵書はオークションにかけられるので、ライバックは、終戦直後はこれらアメリ将兵の書棚に数千冊のヒトラー蔵書があったのではないかと推測している。

以上のような詳細について興味があれば、お薦めできるノンフィクションではあるが、むしろ学者の書いた先行研究のほうに興味が湧いてしまった。そのような興味を抱かせたという意味では、刺激的な本には違いないかもしれない。