Comments by Dr Marks

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学位論文の意図的悪文あるいは意図的誤植について

そんな馬鹿な、と言わず、しばしお耳を。他人のブログ訪問もあまりしていないが、猫猫先生には行って見た。『小平麻衣子の更正』という題で、悪文が直って更正したというようなことが書いてあった。そして、なぜ悪文になったかというと、上の者への気がねや抑圧の中で遠慮や葛藤していると悪文にならざるをえないというのだ。

小谷野先生の洞察に、なるほどと思うし、自分の経験から、確かにそうだとも思う。どうも、この小平という人が悪文だった時期は博士号取得の前だったのだろうか。それならばありうるなと思った。神学や聖書学の分野でさえ(いや、かえって我々の分野はそうなのかもしれないが)、博士前の雑誌論文や肝心の学位論文そのもので極めて歯切れの悪い文章にならざるをえないことがある。A先生とB先生を足して2で割ってC先生を加味したら、わけのわからない文章になるのは当たり前だ。

先般から、マルコ伝は70年以前成立かどうかの話題を取り上げているが、実は、私自身の学位論文の脚注で、その成立順に関して、それとなく指摘したおかしな話がある。何を指摘したかというと、1960年代のハーヴァードの博士論文に本分の中味とアブストラクト(要旨)の中味が違うものがあるということだ。

著者は、この度帰天された我が師ショーラー先生の一年後輩で名前のイニシャルはBAJとしておこう。指導教官はショーラー先生と同じ、かの有名な(まだ元気らしい)ケスター教授(Helmut Koester、ケスター自身はブルトマンの弟子)だった。研究内容は外典の「ペテロ福音書」の空墓伝承だ。この論文は、本として出版されることはなかった。また、BAJは、ショーラー先生のように大きな研究機関ではなく、カリフォルニアの小さな神学校の教授を務めた後、今は中部の故郷に引退しているらしい。研究書といえる著書もないはずだ。

ところが、ケスター教授の著書などで紹介されたためか、このハーヴァードの学位論文の要旨はかなり広く流布・引用されていた。つまり、センセーショナルに、正典であるマルコ伝よりも先に外典の「ペテロ福音書」が世に出ていたはず、という結論になっているからだ。この論文は、私のテーマに直接関わるというよりは、ある意味で(少なくとも博士論文のタイトルに「空墓(the empty tomb)」があるという意味で)私の学位論文に先行する唯一の北米の学位論文であったからだ。

未刊の学位論文であるうえ、当時 UMI でも入手できなかったため、苦労して全文のコピーを手に入れた。読んでみて驚いた。本文の結論が、要旨の結論と違うのだ。簡単に言うと、マルコ伝がマタイ伝に入れ替わっているのだ。この論文では、昔の論文でありがちな、極端な略号が使われていた。マルコ(Mark)はMkで、マタイ(Matthew)はMtと略していた。今の学会規定では、Markは必ずMarkとフルで書くし、Matthewもフルで書くか略するならMattと略す。MkとMtでは間違いやすい。

単なるミスプリントであろうか。いや、違う。よく読んでみれば、マルコ伝とする要旨は要旨で筋が通り、マタイ伝とする本文は本文で筋が通っているのだ。私はショーラー先生にその旨告げたところ、困った顔をされた。多分、知っていたか、知らなくても、さもありなん、と思ったのだろう。当時、まだ若くて急先鋒のケスター教授に気を遣い、本文ではどうとも取れる苦しい議論をしておいて、なるべく明確に述べなければならない要旨では、意識的な荒業で乗り切ったのではないかと思っている。

人のことは言えない。正直言って、私の学位論文だって玉虫色の議論は幾つもある。既に、反対派からは書評等でも指摘されたし、意識的に見逃してくれた好意的な書評もある。葛藤の中で、どうしても歯切れが悪くなってしまうことがあるのだ。