Comments by Dr Marks

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コネなしで大学教授再び、あるいは師匠との関係

コメント欄ではなく、「コネなしで大学教授」にブクマコメントが入っていたが、その中でComplex-Catさんが教授による弟子のコネを結婚披露宴の紹介になぞらえていた。それを押し進めると、無理な結婚強要まで進むかもしれない。つまり、有力な学界ボスに押し付けられると、気が進まなくても雇わざるをえないのだ。しかも、ボスだからいい地位にいて、「俺の後釜はお前だぞ」などと餌をちらつかされれば、小心者は断りきれない。

一応誤解のないように言っておくが、そうは言っても、あまりひどいのは紹介しないだろう。昔のことだが、東大医学部のある教授室に仕事で訪れていたとき教授に電話が入った。教授は奥に入って電話を取ったが、会話の内容は(大声なので)皆わかった。誰か教室の院生か研究員を(多分)二流か三流の医学部の教員として紹介してくれという話らしい。最初、教授は「該当するような者は今いない」と静かに断っていたが、相手がしつこかったらしく、とうとう「犬や猫の子を紹介するわけじゃあるまいし!」とどなって切ってしまった。(もっとも、一度変な大学に紹介してしまうと、研究環境も整わないところで一生駄目になってしまう心配もあるらしい。これも仲人と似ているかもしれない。)

私の師匠は学制的に正式には二人いることになる。A先生とB先生だ。私はC先生も勝手に師匠と呼んでいるし、本人も私を弟子のつもりだが、大学院で正規の授業を担当したわけではないので非公式な師匠だ。他にもコネとなりそうな密接な先生方はいてもこの際除外しよう。実は、A先生とB先生は極めて対照的だ。A先生は自分の著作のほうが忙しく、あまり学生の就職には熱心でない。というか、まったくしない。B先生はアメリカでも有力な大学の出身ということもあるが、私のようにL.A.は絶対動きたくないなどという我がまま者でなければ、どんどん送り込む。

A先生とB先生の違いは、両者の個性というか性格の違いにも関わっているだろう。A先生は自分の学生が学内で何か(とくに良くないことが)あっても、自分がおどおどしてしまって頼りがいがないが、B先生は自分から出掛けて良いように取り計らってしまうような人だ。ところで、こう聞くと、A先生って何だ、と思われるかもしれない。しかも、両者共に聖職者でもありますよと聞けば、B先生は確かに牧師らしいが、A先生は何なの、ってことになる。しかし、不思議なことにA先生の人気は高かった。少なくとも、著作をものにし、演習室で語る言葉は無駄がなく、そのまま原稿に起こしてもいい人だ。とくに二人きりでの会話のときは、先生自身が学生に戻ったようになって知的好奇心の強さを印象付けてくれる。(←このあたりは実にいい object lesson になっているのですよ。)

A先生でもやっていけるのは、それほど学生の就職に関心を示さなくていい教育機関であることもある。神学部のPh.D.の7割しか大学で教えていないそうだが、後の3割のほとんどは別のことで忙しいはずだ。実際、私が新約学で一コマ取った先生などはフルタイムの先生だったのに、自分の巨大教会が忙しくなって(高給の出る!)教会に専念してしまった。(学的関心を失ったとも言えるが。)