Comments by Dr Marks

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Dr. Marks 流『信仰問答集』の第一問「人生の目的は何か」答「死ぬことだ!」

本当にそうなのだよ。宗教改革者は目を剥いて怒るだろうが、俺の問答集のほうが適切だ。

クリスマスから何を言っていると言われるかもしれないが、期せずして finalvent 氏も、ま・ここっと氏も、そして数か月ぶりに内田ジュ氏を覗いたら「カウントダウン」というエントリーで限りあることが話題になっていた。私は内田ジュ氏のエントリーにもめずらしく「なるほど」と思ったものだ。そこで、彼は今まで教授といっても30年間にわたって語学教師であったということも知った。

「前未来と中性代名詞と半過去」を教えたら、二度とフランス語を教えることはないだろうという件を読みながら、「ふふ」と微笑みながらも、ご苦労さんと素直に思った。アメリカでは教授になって偉くなればなるほど(皆無ということではないが)語学など教えない。語学教師は大学教師の中では底辺と思われているが、本当は語学教師であることが好きな人は少なくないはずだ。

それで、この記事を書くためにもう一度「カウントダウン」を読もうとしたら、「福翁」の何とかという新しいエントリーが入っていて、今度は「おお、内田ジュ的およよっ」と思ってしまった。外国語を学ぶ動機や目的や方法や内容は、種々様々であるのは今も昔も同じなのだよ。

例えば、私のフランス語は自学自習で(正式に先生についたことはない)文献を読むためだけだったから会話がだめだが近頃は会話に興味を持ってきたし、ドイツ語は試験対策で総合的に学んだつもりだが(Duden 丸暗記で文法力満点!?!)とっさの会話では言葉が出てこない。そのような実践的な環境で学んでいないからだ。(ドイツ語母語の先生なのに英語で教えていた。)

日本の高校でも英語を英語で教えるという計画があるそうだが、とてもいいことではないか。昔と違って、世界同時的な外国語習得の環境が整っているのだから、何も古色蒼然たる文法重視の英語教育のほうがいいなどと言わないほうがいい。どのような外国語であろうが、文法と単語だけで習得できるものではない。また、文法が先か、文法が後かといった問題でもない。さまざまな面を繋ぎ合わせて総合的に学び教えるのが語学教育なのだ。

今までの日本で足りないところを強化するのであれば、それはそれでいい。まさか、それで文法や読み書き能力をないがしろにするわけでもあるまい。それから、動機とか目的ね。人があれこれ言っても始まらないのよ。楽器演奏の習得と同じで、動機とか目的の種類というよりは、動機とか目的の強さ(自覚あるいは覚悟)のほうが大事だ。まあ、その点では、福翁に学べということかもしれないが。

はれっ、『信仰問答集』はどうなったの? 同じことだよ、わからんか! うむ、何か禅問答になっておるよ。