Comments by Dr Marks

出典を「Comments by Dr Marks」と表示する限り自由に引用できます

おお、日本はクリスマス・イヴか、ここL.A.は明日だ―疑似科学的史的イエス研究と真正史的イエス研究

史的イエス研究からすれば、イエス・キリストの生涯で最も特定しやすい時間(年月日)は、彼の処刑と復活の時だ。もっとも、復活を歴史的事実としてはいけないのであれば、復活の信仰の始まりの日付だ。しかし、処刑(十字架刑)と復活(空の墓)の日付が最も特定しやすいとはいっても、学者によりさまざまな説があるのでこれさえ確かなことではない。

それでは彼の生誕はとなると、生年に関してはいくつかの説得的な説があり、おおむね紀元前6年から4年というのが多数派の意見だ。しかし、12月25日となると、まず史実とは関係がないと考えていいかもしれない。これについてはサンタクロースの起源と同じで諸説あっても、いずれも宗教史「的」なあるいは擬似宗教史的な勝手な憶測と考えていい。それぞれ面白かったりなるほどと思うかもしれないが、まともな学的価値のあるものは一つもない。

ただ、そのことと、探究を止めてしまうこととは別だ。史的イエスに関しても、過度に歴史的確信を持ったり極端に史実との遊離にばかり拘泥したりするのであれば、どちらも正しいことにはならないだろう。こういう極端な立場の人に限って、自分のイデオロギーで勝手なイエス像を彫琢して悦に入るものである。あるいは史的イエスは不可知と断じて、堂々と己の倫理道徳をイエスの名によって説くこととなる。極端に政治的な聖職者は皆このような者と思って間違いない。

キリスト教美術史(と大袈裟に言わなくてもいいかもしれないが)の示す如く、イエスの姿は歴史に従って変遷しているし、例えば、19世紀のフィリピンの作家がイエスを30代と聞いて彫刻したものは当時のフィリピン人の老化に合わせて作成されたように(上智大学にあるそのイエス像は既に老人である)、地域の事情も反映したものだ。それぞれを反映しながらも、イエス起源の信仰を貫いてきたことは疑いえない。だから、12月25日をイエスの降誕の日として祝うことが史的イエスと乖離していようと、そのことだけで祝う意義まで失ってはならないだろう。救い主がこの世に来たことはいつでも祝うことができることではあるが、365日のうちの一日を誕生日と見立てて祝うことに何の不都合もないし、この信仰が初めから共同体的なものであったことを思えば、(何日であれ)決まった日付であることこそ自然である。

史的イエスの研究では、研究結果はいつでも流動的である。研究が続く限り、成果が豊かに積み重ねられるが、学者はふつう「史実はかくかくしかじかである」と断定はしない。安易に断定されたものは偽史実であり、擬似科学的結論にすぎない。史的イエス研究においては、テキスト、解釈、出土品などのデータに加え、必ずどのような「方法」で研究されたかが示されなければならない。だから、学者の結論はつねに「この方法で、この材料を、このように解釈すれば、このような結論に至る、と私は考える」となるにすぎない。もちろん、既存の(先行の)研究との照らし合わせ(discussion)があるべきであるし、後続の研究者が辿りうる道筋が示されていなければならないのだから、引用されるべき文献まで隠蔽されている程度のものであれば、何をか言わんやである。