Comments by Dr Marks

出典を「Comments by Dr Marks」と表示する限り自由に引用できます

門脇師とオコリンズ師、そして復活に関するメモ

私のブログの過去記事など知らない人たちからのコメントでは、さんざんいろいろ言われたが、多分、そのような人たちにも役に立ちそうな人として二人の名を今日は挙げておこう。門脇師とオコリンズ師だ。ほんとにどういう因果か知らないが、私がたびたび名を挙げる史的イエス研究のマイヤー兄いもそうだが、マシア爺さんも、そして今日紹介する二人もSJ(イエズス会士)なんだな。(そして、多分、門脇師とオコリンズ師はマシア爺さんより年上。)

門脇師とは門脇佳吉先生のこと。日本のカトリック本山の学校のセンセ。彼の「『正法眼蔵』参究 : 道の奥義の形而上学」が昨年の暮れに岩波から出たことを知った。読んでみたいと思っている。『正法眼蔵』そのものは、石器時代の昔に演習で1年間読んだのだが、それ以来ご無沙汰なことと、彼の旧著『道の形而上学芭蕉道元・イエス』(岩波、1990)は、読み応えがあったからだ。少なくとも彼はミソもクソも同じと考える単純プラナリア脳でないことは確かだ。(しかし、私は彼ほど「公案」には重きを置けない。)

その旧著の終わりのほうでは、彼自身の信仰としては、何らかの復活に関わる事件(歴史的事実)があったことを認めており、「友のために命を捨てる」で結ばれている。そう、サマリア人であり続けることは意外にやさしいが、「友のために命を捨てる」ことは復活の力がなければ無理だろう。(おっと、軽はずみ者のために言っておく。友のために命を捨てる前に、友と共に生きる道を探すのが先だぞ。死ぬなよ。)

オコリンズ師というのは、Gerald O'Collins先生のこと。世界のカトリック総本山の学校のセンセ。自称、「復活学者」というほど復活に関する多数の著作で有名だ。彼にはたくさんの疑問点が私としてはあるのだが、彼の著作(彼の論文を含めて、多分だが、学術的なものはすべて読んだ)には大変学ばされた。お陰で私は「空の墓学者」を自称している。(多分だが、「空の墓」に集中した本としては私の著作が今のところ最大である。)

オコリンズ師の著作が日本語に訳されているかどうかは知らない。しかし、薄くてもよくまとまった本も多いので、英語でがんばって読みたい方に、この先生の名前を紹介した次第だ。本は検索で探してほしい。