Comments by Dr Marks

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リビアの砂漠を水なしで渡る男アルゴスのアンドロン:めずらしく日本語で哲学の話(ピュロン、懐疑、ディオゲネス・ラエルティウス、フッサール、余の生き方)

ギリシア哲学者列伝〈下〉 (岩波文庫)

ギリシア哲学者列伝〈下〉 (岩波文庫)

Lives of Eminent Philosophers, Volume II: Books 6-10 (Loeb Classical Library)

Lives of Eminent Philosophers, Volume II: Books 6-10 (Loeb Classical Library)

哲学というより哲学史だから日本語で楽勝。リビアリビアというとカダフィ大佐殿に関することばかり書いてきたが、別の人を登場させてみた。哲学史に興味のある人たちの間ではもちろん、ヴィクトル・マリ・ユゴー(Victor-Marie Hugo、1802−1885)でさえ書いている(『ウィリアム・シェークスピア1864年)くらいだから、知っている人は知っているめずらしくもない話だ。

元はと言えばアリストテレスの断片にあるのだが、ネットを探ったらウァレンティン・ローゼ(Valentin Rose 、1829 – 1916)の編纂したものが載っていた(http://bit.ly/harg2p)。この断片103(Fr 103)なのだがこのローゼ本では101ページにジャンプすると出てくる。しかし、多分もっと有名なのはディオゲネス・ラエルティウスの『哲学者列伝』第9巻に出てくるエリスのピュロン(英語ではピュローPyrrho、紀元前4−3世紀)に関する記述だろう。

エリス(Elis)というのは現在のギリシアのエリス県で、ピュロンの父親はプレイスタルクスと言われているので父親も有名だったのだろう。彼の初めの職業は絵描きということだから親子で絵描きだったのかもしれない。彼は俗に懐疑論の始祖と言われるが学問的には疑義があるようだ。ともかく、ピュロニズム(Pyrrhonism)という言葉は、一般的には古代の懐疑論(skepticism)と同義に使用されるくらいである。

ディオゲネスは、ピュロンの項目で十種類の懐疑論の根拠を紹介しているが、リビアの話はその第二に登場する。ご参考までにその十項目を挙げておこう。(1)異なる生物による違い、(2)異なる人間による違い、(3)異なる感覚による違い、(4)異なる状況による違い、(5)異なる視座による違い、(6)異なる影響による違い、(7)異なる量による違い、(8)異なる主体による違い、(9)異なる頻度による違い、(10)異なる説による違い。これらにより、物事の判断を中止(エポケー)せざるをえなくなる。

そして上記の第二の例としてアルゴスのアンドロンという男が登場するのだ。アルゴスは多分ギリシアペロポネソスにある町のことだが、彼については詳しいことはわかっていない。なにしろディオゲネス自体がよく正体はわかっていない。いろいろな著作から引用して、それなりの「哲学史」には出来上がっているが、歴史学的には確証のないことの羅列なのだ。しかしながら、確証がないことであっても、それ以上の情報がなければ致し方ないし、実際に役に立つ本であることに異論はない。

さて、その箇所を和訳しようと思う。紹介した加来先生の訳本が今手許にないので余の勝手な訳で紹介する。(やばっ、下巻買ってない!)勝手な訳というのは誤訳も恐れないということだから、文句を言わないように。(ことさら加来「先生」というのは、個人的な師の一人だからだ。文句言うな。余の要らないレコードLP30枚くらい買ってくれた。先生、下巻買います。)

「第二の形は人間それぞれの性質や特異性に関するものである。例えば、アレクサンダーの執事であるデモフォンは体を温めようとするときには日陰に行って日向に行くと震えていた。アリストテレスによれば、アルゴスのアンドロンは飲み物を持たずにリビアの水のない砂漠を旅して回った。(以下略、というかもう面倒・・・)」(これもネットにあったので紹介するhttp://www.mikrosapoplous.gr/dl/dl09.html#pyrron 第80節の終わりから81節の初めを参照)

そうよ。エドムント・フッサールの判断停止(エポケー)もピュロンと関係あるのよね。最初の論文(学士)がフッサールの『デカルト省察』だったマルクス博士が言うのだから間違いない。常識的判断で日々を送り、人間も主義主張も何もかも肯定も否定もしないという生き方は余の人生そのものだな。で、不思議なことに、余以外の世人は皆馬鹿と罵って憚らない。