Comments by Dr Marks

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Little-w さん、ブクマコメントありがとう。その通りだよ、Pierre Teilhard de Chardin もSJだけど

好き勝手なことができた幸せな人だね、多分。しかし、SJ(イエズス会)だからマシア師やテヤール師ということでもない。SJというのは大きな集団だからいろいろいるわけだ。それにテヤール・ド・シャルダンもあの時代(1881−1955)の人であるし、マシア師はその影響を受けた世代(1941年生まれ)であろう。

我々は個人の思想もその時代の背景の中で理解していかなければならない。時代を強調しすぎて個人の特殊性を無視してはいけないが、考慮しないのも間違いだろう。文学作品でさえ、作品だけをもって語らせるという理解や批評の方針は馬鹿げている。背景を考えるというよりは考えないから、「チビ黒」は駄目だというようなファッショ的短絡思考が生まれる。

Little-w さん、この二人は聖書学や神学は職業教育レベルまでしか修めていないのだが、テヤールは自分の専門である人類学から飛躍した宇宙論へと飛んだし、マシア(Juan Masiá Clavel、マシア・クラヴェルが姓)は1970年代から始まり1980年代に本格的になった生命倫理学という時代のテーマに乗ってしまった。昨年も『生命倫理学と宗教』と訳せるスペイン語の本をマドリッドで出したものがある。図書館で手に取ったが何しろスペイン語(笑)だから大変、いちいちこれ何だ。それに彼は東洋思想にも心酔しているらしく、その方面の本もある。

テヤールだが、実は今、私がペンディングにしている(要するにサボってる)ことがある。竹田寿恵雄という日本の哲学者(故人)がドイツ語で出した2冊の本のうち、1冊でテヤールを扱っているのだ。そのうち英語で発表するのだが(書いているのだが)完成はいつになることやら、この点も師匠に似てしまったな(笑)。