Comments by Dr Marks

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No. 3.

チェスター・ベアティ聖書パピルス写本(Chester Beatty Biblical Papyri)の出自(改訂増補)

この写本発見のニューズは1931年の『タイムズ』紙上で流れたと書いたが、チェスター・ベアティ氏が入手したこのエジプト到来の12の古写本の一群を Chester Beatty Biblical Papyriという。以下、CBBPと略記する。なお、papyri(英語発音パパイライ)はpapyrus(英語発音パパイラス)の複数形である。(ケニョン博士の当時は、彼の本の書名のとおり12の写本と判断されていたが、現在では旧約のIX(エゼキエル書エステル記が含まれていた)とX(ダニエル書)が本来同じ写本であったということになり11の写本と数えられている。)

その本来の出土地点は不明である。そのわけは写本がベアティ氏に渡るまでに現地人や商人の手を経ており、彼らの言う出所なるものはいつも信頼できるとは限らないからである。しかしながら、これらの写本の性質からして、初期のキリスト教会か修道院の廃墟から出土したものに相違ないことは明白であるが、墓地からという可能性もある。

ケニョン博士は、ナイル川から少し西のファイユーム(Faiyum)付近から出土したと信じるに足る根拠もある、と書いている。しかし、現在では、その近くでナイル川岸のアトゥフィー(Atfih、すなわち古代都市名はアフロディトポリス Aphroditopolis)であるとも言われている。これはケニョン博士と同世代でありマニ教の研究者であるシュミット(Carl Schmidt)博士の説だ。また彼は、この写本群がキリスト教徒のものではなく、マニ教徒のものであることも示唆した(Carl Schmidt and Hans Jakob Polotsky, Ein Mani-Fund in Ägypten. Originalschriften des Mani und seiner Schüler, Berlin 1933)。

発見されたもののうちの幾分かはべアティ氏の手に渡らなかつたが、他の発見者の収集品の中にその一部であると指摘しうるものもある。幾葉かのパピルス葉と断片は、ミシガン大学の取得するところとなり、また断片のいくつかは個人の所有となっていることも知られている。

12(11)の古写本の一群とは、新約聖書3、旧約聖書8(7)、正典外1である。ただし、ここでの旧約聖書ギリシア語本文の七十人訳聖書(Septuagint)のことである。新約聖書のこの三つの写本の写本番号がP45P46P47である。

次回は、この先、この番号の由来や三つの写本の内容を紹介する。