Comments by Dr Marks

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それでも人間が好き、とくに駄目人間が

これは私が言っているのではない。むしろ、私は逆の冷たい人間だ。駄目な奴は駄目、救い難い者は救い難いと思って突き放す。

そうではなくて、例えば、昨日の記事のエレミアは、嘆きながらもユダヤの民やエルサレムの町がいとおしくてならなかったはずだと言われている。惨めな同胞と風前の灯火ような国だからこそいとおしい。

あるSF映画で(題名は初めから知らない)エイリアンが地球を救いに来るが、人間のあまりの愚かさと矯正不能との判断から、いっそ宇宙全体のために滅ぼしてしまおうと考える。だから、見限った彼らの多くは地球を飛び出して本来の星に帰るが、中には「救いがたき人類だが、この救いがたき愚かさがいとおしい」と、地球に残ると決心したエイリアンも出てくるし、地球を滅ぼすのが役目で地球に下り立ったエイリアンの親分も、人類の心の中に何かを認めて破滅から救うという筋のものであった。

しかし、駄目人間だからいとおしいというのは論理的には無理がある。駄目人間ではあるが、何か評価できるものがあるから救い難きを救うのであろう。例えば、第一コリントの9章で、パウロは駄目人間を救うためなら何でもすると語っているが、駄目人間だから駄目人間にいくらでも合わせてしまうということではないはずだ。彼自身が権威者なのに誰に対しても奴隷の如くふるまうのは、駄目を奨励するためではない。福音のためだ。