Comments by Dr Marks

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日曜日にはパームスプリングズまで行ったから週に7日働いたことと猫猫先生の日本語教室

[猫猫先生の塾に文学教室はあっても日本語教室などありません。念のため申し上げます。]

月月火水木金金の生活は毎週ということではない。しかし、たまにそうなる。昨日はいつも通り5時に起きて出掛けた。普段の片道60マイルとは違って、片道がその倍の120マイルなのだが、日曜の早朝なので車は少なく天気も申し分なく快適なドライヴだったから少しも疲れなかった。普段、往復120マイル乗っているせいもあるだろう。

2時間もかからずに着くが、それは途中に制限速度75マイルというような、まるでアウトバーンのようなところがあるからだ。75マイルは120キロだから、普通は誤差を考えて警察も80マイルか130キロ程度ならスピード違反とは言わないので、まさにアウトバーンのようなものなのだ。さすがに85マイル以上になると捕まる可能性があるので、そこまでは出さない。もし、90マイル以上で捕まると、普通の交通違反ではなく犯罪行為になるので厄介である。

またまた猫猫先生なのだが、またまたたまたまなのだ。これも先週の実際の経験からのもの。私は日本語も教えていることは前にも書いた。しかし、アメリカの教科書は使いたくない。これを使ってくれと、とくに頼まれない限り、教材は個別に集めたり適当に自分で作る。

なぜか? たぶん、ヨーロッパや中国などの教科書は違うはずだが、アメリカの教科書(日本で作られたものを含む)は出鱈目な日本語を平気で教えているからだ。平気というよりも確信犯であり、それでいいと主張する。そもそも、中国などでの日本語教育とは別で、五段活用動詞、形容詞、形容動詞などは教えず、ru動詞だとか、i形容詞などと、わけのわからない方法で教えるのだ。ただし、古典レベルになるとさすがに四段活用動詞などから教える。

さて、猫猫先生の「十軒長屋二十軒長屋」だが、文部科学省の検定教科書とは別で、アメリカの教科書は確かに「じゅっけんながやにじゅっけんながや」などと平気で教える。もちろん「じっけんながやにじっけんながや」も併記していることもあるが、前者のほうが一般的だなどと嘯いている。

更に、こんな例もある。これって日本語かと心ある人は憤るのではなかろうか。アメリカ製の変な外人が日本でのさばるわけだ。

「ほしいです。」この否定文は「ほしくないです。」これらは現在形です。要するに、PresentとPresent Negativeだって。
「ほしかったです。」この否定文は「ほしくなかったです。」これらは過去形です。要するに、PastとPast Negativeだって。

何だ、この日本語! だいたい、日本語動詞には現在形や過去形など存在しないし、「です」は何にでも付くわけではない。もっとも、こんな日本語を話す人間が増えているので、みんな使ってますよと言われれば仕方がないが、少なくとも書き言葉としては間違い日本語だろう。そうそう、「ありません」に「でした」を付けて、Past Negative「ありませんでした」などという間抜けな日本語を教えるようにしている教科書もあるぞ。

書き言葉で思い出した。「だ・である体」の常体をinformal、「です・ます体」の敬体をformalなどととぼけた説明をしている教科書が本当に存在する。だから、上級になって、公式文書がみな「だ・である体」であるのを知り、愕然としていた学生がいた。可愛そうに、今まで俺は何を習っていたんだ、といって泣いていたよ。

自分で言うのもなんだが、日本語なんか外国人に教えている人間はろくな奴がいない。たいていは知的レベルの低い人間だから、自分がとんでもないことをしているのに気づいていない。というか、何が正しい日本語か知りはしないし、中学で習う日本語の基本文法も知りはしないのが大方なのだ。