Comments by Dr Marks

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翻訳は難しいという話と猫猫先生の(エマソンの) Sensual Man

翻訳は難しいという話は何度もしたかもしれない。実はちょうど昨日のこと、理解したかしないかわからない馬鹿学生のほうが多いところで翻訳の話をした。「翻訳者は裏切り者だ」という言葉を引いても誰も知らないと言う。情けない。個人が知っている知らないは、たまたまのことであるから、知っていたり知らなかったりするので構わないが、十人が十人知らないとなると馬鹿の集団かと思ってしまう。

翻訳に完全ということはない。元の表現の機微まで得るためには原語で読むしかない。翻訳は次善の策である。翻訳で原文を忠実に再現するのは不可能だからである。だから、意図するとしないとにかかわらず、翻訳者は裏切り者とされてしまうのだ。しかし、生半可な語学力で原語に挑んでも翻訳を読むよりも役に立つわけではない。その辺りのことはよくわきまえておく必要がある。

訳語の話もした。言葉は多義的であるから、コンテクストを無視して辞書から適当に訳語を見つけるようでは阿呆である。同じ言葉が、別の言語ではさまざまに訳されるのだ。猫猫先生が sensual man の「俗人」と「官能的な人」のことで書いていた。もちろん、先生が言っている話はコンテクストの中でのことに違いない。辞書的にはどちらにもなるからだ。しかし、詩人に対する者は精神性のひとかけらもない俗人だろう。官能的な人間は意外と精神性が高かったりするのだから。