Comments by Dr Marks

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「人は、学者を含めて、純粋に合理的な生き物ではない」は『Qは張り子の虎か』というマイケル・グールダー博士晩年の、Q資料仮説を揶揄した論文にある言葉

毎日続けたブログを(186日間継続中)シャバートにするわけにはいかないので、ともかく短くても書こう。最近、猫猫先生が「苦悩が決して人間を高みへと導かない、よい事例がここにある」(http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20100219)と書いていたので、思わずTwitterでRTしてしまった。猫猫先生つまり小谷野敦先生のこの言葉は、決して新奇なアイディアではない。しかし、人は、そのなにげない言葉に感じやすい状態にあると、いつになく共感し感動することもある。

先日亡くなられた Michael Goulder 先生の言葉も、"People, including scholars, are not purely rational beings." という、むしろ陳腐な言葉であり、時によっては何も感心するほどのものではないかもしれない。しかし、棄教して聖職を離れ、優秀な若者をこんな聖書学の世界に引き込みたくはないとまで言った先生が、晩年(1996年)の論文でも、非常に情熱的に聖書を愛していたことを知った。その論文の中で、先生がふとこのようにつぶやいたのを噛み締めると、甚だ興味は尽きない。

この言葉は、少なくともコンテクストの中では先生ご自身に向けられたものではなく、Q仮説を後生大事に抱えている新約学者を念頭においたものだ。Q資料というものはあくまでも仮説である。これはQの存在仮説に積極的に立つ学者の場合でも同じで、彼らも「仮説」であることはわきまえている。さも、Qは歴史的存在だと思っている人がいるなら、その人はQの何たるかを全く知らない人と言える。

かつて本家のブログに、その程度の日本の新約学者の論文を読まされた話を書いたが、もちろん現在でもQの存在仮説に立って研究を進めている学者はドイツなどを中心に存在するが、1990年くらいまでには、Qの非存在が学界で優勢となった。主としてグールダー先生を含めたオックスフォード系の学者の活躍に負っているが、同じく英語圏であるアメリカの学者の支持も大きい。もっとも、面白いことに、同じオックスフォード系やアメリカのジーザス・セミナー系の学者には、Q仮説支持者もいることはいる。

とりあえず、内容までは紹介しないが(眠いのだ)、論文情報だけ書いておく。なお、「張り子の虎」としたのは私が仮に "Juggernaut" を意訳したものである。Michael D. Goulder, "Is Q a Juggernaut?" Journal of Biblical Literature 115(1996):667-81