Comments by Dr Marks

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Q vs. Against Q(Q擁護と反Q)の基本的意味(IQPの資料リンク追加)

Q擁護派を歴史的に(といってもせいぜい250年しか遡らないが)分類したり、個々人のQ擁護の色分けはとてもブログでできることではない。それぞれの変形は限りがない。しかし、基本的には共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)の成立にはマルコ伝とQ資料があればよいとするのがQ擁護の立場であり、これを二資料仮説(Two Source Hypothesis)という。二つの資料とは他でもないこのマルコ伝とQ資料だ。そして、一つ一つ検討してみればわかることなのだが、Q擁護の立場は以下のことに集約される。

Q資料とマルコ伝を元にマタイ伝もルカ伝も編纂され、マタイ伝とルカ伝との間には影響関係がない。(Q派にとってマタイとルカに影響関係があるとすると論理的に破綻する。)つまり、Q派はマタイもルカも共にQとマルコを参照したが、お互いのものは参照していない、となる。

Q派も共観福音書の成立順位は古いほうからマルコ、マタイ、ルカの順であり、反Q派と同じ意見である。ただし、Q派はマルコよりも古い資料Qの存在を仮定する(マルコは古くても紀元65年くらいであるが、Qは50年くらいに想定する人が多い)。

その他のQ派の主張は、Q資料は元々イエスの語った語録であり、イエスの地上の生涯に関心を持つマルコとは違う。それゆえ、マタイとルカもイエスの地上の生涯に関心をもつため、順序は福音書によって違うものの物語形式をとる。更に、語録であるから、復活はおろか受難の歴史的エピソードもない。

したがって、この現存しない(仮想上の)Qは、基本的には(実際は多重の結論があるのだが)マタイとルカにあってマルコにはない部分を抽出すれば、それがQということになる。どれをQとするかは前述の如く論者によって違うが、現在包摂的なものはジーザス・セミナーを母体とするIQP(International Q Project)の作業であろう。

以上が基本的な立場である。つまり、最後のルカがマルコとQ の二つの資料のみを利用したというQ派に反論するとすれば、「ルカはマタイを参照している」ということを証明すれば足りる。グールダーの一連の論文は、Qの顔がQではなくて、実は何のことはない見慣れたマタイの顔だった、ということを証明している。なお動物の喩えだが、グールダーはこれもマタイであることを先行の機会に表明したところ、誰も反論していないと言っているわけだ。

念のために申し添えるが、以上はあくまでも書き物としての成立過程であり、口伝や原マルコやM資料やL資料というのは基本的には議論の中心ではない。(う〜ん、今回は「基本的」が多かったな。図解でも加えればわかりやすいだろうが、ブログではめんどっちい。ごめん。もう一論文紹介するかな。どっかの大学図書館で見つかるはずだから。あとはEBSCOあたりで探してもらうとか。下記論文が大学等に所属しなくても無料で読めるサイトがあったら皆さんのために教えてください。ちょっと見つかりません。)

Michael Goulder, “Two Significant Minor Agreements: Mat. 4:13 Par.; Mat. 26:67-68 Par.” Novum Testamentum 45(2003):365-73

あれれ、これを紹介するといっても Minor Agreements とか Major Agreements を説明しなければならないのだろうか。賽の河原だな。

追加:どうやらクレアモントのIQPのホームリンクが壊れているが、彼らの作業結果の英語訳(原文ギリシア語)がある。ここ→http://www.chass.utoronto.ca/~kloppen/iqpqet.htm こいつら変な奴らなんだよな。ロビンソン爺さんは可愛いけど。