Comments by Dr Marks

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ジャガノートは、「張り子の虎」か「食い尽くす神」か:グールダー先生の論文題名の理解

Juggernaut はヒンズー教の荒くれ神であるが、張り子の虎と意訳した理由を述べなければならないだろう。そうすることによってこの論文の中味も多少紹介できる。

もちろんグールダーは食い尽くす神の意味でも使っているのである。ここ数十年にわたってPhDの学生を食い尽くしている神であると確かに述べているが、もちろん皮肉である。学位論文のテーマに行き詰まった学生をQが食い尽くしているのである。なるほど、QをQとして構築する本格派(何がQの部分であるかを探索・抽出する作業)というピンから、誰かがすでにQとした資料を材料にして、そのQの成り立った社会を再構築するという考古社会学的な研究テーマ(キリ)まで出てくる始末である。山また山(Piling of Pelion on Ossa!)の仮説の上に建てた仮説! あがるまさんが持ってきたQ関連の論文は私の後輩のものだが、このピンとキリの中間に位置する山ほどある学位論文の一つと言えよう。

本論文の直接の相手はQ資料擁護派のオックスフォード大学ペンブローク・カレッジのクリストファー・タケット(Christopher Tuckett)博士である。同博士は、現在は教授であるが、当時は講師でグールダー先生の横綱相撲の観があった。慇懃無礼でないかとおそれるほど丁寧な態度でタケット博士を扱うが(ex. 「鋭い方」などと褒め上げる)、グールダー先生の議論は皮肉たっぷりである。

議論の中心は、Q仮説(念のため:すべての学問は仮説だが、Q仮説とはQが存在したという「存在仮説」)が必要なのは共観福音書の成立に関してアポリアを解消するためなのだが、現在タケットが言うようなものは皆、Qの代わりにマタイがあれば全て解決するというものだ。また、Qなど近代まで文献には一切登場していないこと(現存が確認されていなくても昔存在したという文献は無数)、パピアスの言う「タ・ロギア」をQだなどと言うのは何の根拠も道理もないと突き放している。

そこで最後に、言葉ではなく動物のイメージが登場する。グールダーが挙げたのは10種の対になる動物のイメージだが、これも出所はマタイである。ルカは、かくしてマルコとマタイがあれば執筆できたわけで、Qなど不要であった。ところが、タケットも他のQ擁護派も、この指摘については口をつぐんでいる。どうしたジャガノート、張り子の虎よ、と言わんばかりである。

なお、この論文の議論の中心になる理論に Minor Agreements がある。先生は、本論文の後にも Minor Agreements の挑戦的論文があるので、「偽新約学でごまかすブログ」になるときには紹介するかもしれない。約束大嫌いだから約束しない。お休み。

ああ、そうだ。今頃は聖職者養成(MDiv)以外は宗派別の教育はないでしょう。北米でも欧州でも博士課程(PhD)の学生は何でも受け入れます。バチカンだってプロテスタントの学生を受け入れてもう40年以上たちますよ。一般に信仰などなくても博士課程はOKです。