Comments by Dr Marks

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No. 5.

「共観福音書問題」(第5講)Q資料に対する温度差(番外編ではあるが、英語圏とドイツ語圏)

こんな専門でもない共観福音諸問題を取り上げたのは他でもない。例によって私が変なことを言ったからだ。いや、言ったこと自体が変なのではなく、聞くほうが変に思ったということだ。それは、私がこのシリーズを始める前に、今やギリシア語本文を直接扱う新約学者の間ではQ資料仮説など古い、と言ったことだ。日本の人はとくにビックリしたらしい。

しかし、その原因は、いる場所による温度差だろう。日本の新約学は、現在も現役の大貫隆を筆頭にまだドイツの田舎の匂いが強い。田舎のまた場末が、日本の新約学の現状というか、・・・とここまで書いて思ったが、今頃はドイツで新約学の博士号を取った若いのがいるんかね。もっとも、ドイツの博士号は程度が低いから、教授資格論文も通らなければ一人前ではない。今まで一人もいないだろう。なお、現役というのは大学教授としてではなく研究者として現役ということである。荒井献はもう駄目だろうし、私の好きな田川建三は一線の研究は長らくしていない。もっとも、田川はドイツ語も得意だがフランス語系(ストラスブール)だ。

共観福音書問題となるととくにオックスフォードだが、そこの新約学のD.Phil.では、今でもSBLの会議にアメリカまで出てこられる伊藤明生(学部は東大西洋古典)と、もっと若い浅野淳博(FullerでTh. M. の後OxのD.Phil.)がいるが、どちらも共観福音書問題には立ち入っていない。とくに浅野は初期キリスト教社会であるから関心が異なる。オックスフォードもマンモス大学(もっとも、世界中の有名大学は東大、ハーヴァードを含めマンモス)でカレッジによる色合いも異なる。そのような事情なので、ほかにもいるかもしれないが、直接知っているオックスフォードで博士となった新約学者はこの二人だけだ。

浅野は英語が上手いな、書くのも話すのも。しかし、暴露的に言えば、彼が学問の仕方を覚えたのはOxではなくアメリカのFullerだった。一時は期末論文が書けなくて悩んでいたが、立派なTh.M.論文を書いたのでOxにも行けた。やり方がわからないだけで素質はあったということだろう。

(ここで序でながらTh.M.論文について説明する。エール大などのM.Ph.論文もそうだが、これらの学位論文は、M.A.より高度だが普通はPh.D.に正規に受け入れられなかった学生がPh.D. cand. の資格があることのデモンストレーションとして書くものだ。短い論文だが、Dissertation Abstracts に収録されるものもある。これを仕上げてからPh.D.の論文にそのまま取り組んでもいいが、他の大学に移ってもよい。私のように初めからPh.D.で始めるよりも力が付くのかもしれない。)

それはともかく、この二人もQ資料仮説は古いなどと、あまり積極的に言ってはくれそうもない。だから、日本の馬鹿者、いや失礼まちがった、日本の若者は、今でも砂の上の楼閣的な(しかも他人が抽出した)Q資料をもとに研究などと称してやっとるのだろうね。

前回紹介したリンネマンは著書で、1990年代に入っても二資料仮説(=Q資料仮説)がドイツでは優勢だと言っているし(Is There a Synoptic Problem?, 13)、グールダーの後継者とも言えるグッドエイカー(この両者に正規の子弟関係はない)も1996年の著作で同様のことを述べ、ドイツ人はイギリス人の論文や著作を読まないと嘆いている。確かにそうかもしれない。彼らはフランス語は読むが、英語はあまり読まないかもしれない。

なんだ、やはりQ資料仮説は優勢なんだと言うあなた、こんな証言はどう。言ったのは、ドイツはゲッチンゲン大のゲオルク・シュトレッカー教授様。オックスフォードの趨勢にほとほと参ったのか、感心したのか。「うへー、今やオックスフォードじゃ先生方はどなた様もQなど信じておりまへんな」(Theology 92:329)。1989年のことじゃよ。この雰囲気はアメリカや北欧に行き渡り、近頃の学会ではむしろQ派など旧派で(また寒くてごめん)あると私は思っているくらいだ。

1990年代に入るまでのQ不要派(Q仮説なんて要らねー派)として、グッドエイカーは、グールダーやA. Farrer を重要な論客として挙げながらも、他に古い人として E.W. Lummis、H.G. Jameson、A. Schlatter(日本で翻訳もあるチュービンゲンのシュラッター先生だよ)、J.H. Ropesらの先達、更にファーラー以後のA.W. Argyle、R.T. Simpson、N. Turner、H. Benedict Green、J. Drury、M. Davies、E.P. Sandersなども反Q派に数えている(Goulder and the Gospels, 21-22)。もっとも、細かいのは他にも多いのだろうし、私などは反Q派のほうが納得しやすい。おっと、若いが現在の論客としてはグッドエイカーさんね。

なんだか今日は学界事情になってしまった。まあ、英語のQ資料説明のWikipediaなんかも現在の事情は反映していないね。多分素人が書いてるもの。そういえば、一部疑問の余地ありのバルーンが立ってたぞ。