Comments by Dr Marks

出典を「Comments by Dr Marks」と表示する限り自由に引用できます

日本語のカタカナ表記について簡単に(Twitterでの議論を受けて)

私は長い間の日本語教師でもある。小学生から(これは個人教授)大人まで教えたが主として青年である。日系人から日本語とはいっさい関わりのない者まで教えた。日本語で日本語を教えるダイレクト法は上級者だけで、中級以下は英語で教授したほうがはるかに能率的だ。とくに高校生以上はダイレクト法ほど非能率的なものはない。

以上は、日本語教授でどれだけの経験があるかということと、さまざまな受講者を考慮に入れているということを強調したいからだ。その経験の中で、カタカナほど難しいものはない。自分の言語(この場合英語)と関連づけて覚えることができるなら問題はないのだが、元々英語であるものの翻字(transliteration)であるはずなのに似ても似つかないことになるからだ。極端な話、ロンドンと書いてあると思ったらパリだったという具合だ。

いや、笑い話は別として、実際によほどの学生でないと Paris を「パリ」とは書けない。ほとんどが「パリス」と書く。それが英語だからだ。しかし、フランス語を知る学生なら、日本人は現地語主義だといえば、すぐに「パリ」でよいことは納得してくれる。

カタカナ自体は普通の学生であればすぐに覚えて、よくあることだが自分の名前をカタカナで教科書に書いたりして悦に入る。しかし、Robertsonという苗字をロバートソンと書くと教えると不思議な顔をする。「いや、ローバツスンですよ」と主張するのだ。確かに、Robert ならばバーと伸びてもいいが、Robertson ではバは伸びないのだ。また、トというよりはツに近くなるし、絶対にソンではなくスンである。

この辺りから、日本語教師は説明に困ってくる。普通は慣用となった外来語は勝手な翻字が許されないから、辞書等を当たって単語として一つ一つ覚えなさいと指示する(要するに、ごまかす)。だから、New York をヌーヨークと書くのは許されません。この辺りまでは、うんうん、とうなずいてくれる。すると、出来のいい者あたりから手が挙がる。「Los Angeles はどう書きますか」、うっ来た。ロサンゼルスといいたいところだが、一般にはもはやロサンゼルスが主流とはいえなくなっている。

さて、さまざまなことはTwitterで書いてしまったので、もはや同じことは書きたくなくなってしまった。ウィキペディアを紹介しておく〔http://bit.ly/8Za629〕。私も持っている『外来語の表記』(昭和29.3.15 第20回国語審議会 術語表記合同部会報告)について詳しく記している。要するに、原語主義にしろ日本語音韻主義にしろ決着は付かないということだ。私のブログを長くお読みの方はBとVを区別していることをご存知と思う。しかし、テレビのように強い定着のあるものはBとVにこだわっていない。

なお、日本語にはBの発音はあってもVの発音はないから、Bに統一してバビブベボとするのが合理的という意見もある。なるほどとも思った。しかし、(これも日本語教師としての体験からすぐ浮かんだことだが)ピャ、ピュ、ピョと教えているが、日本語にピュなどという音はない。辞書を引いてみればわかるように全部外来語だ。Vの音だって近頃の日本人が出せない音でもないし聞き分けられない音でもない。比較的簡単であろう。ならば、ここでヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォだけ除外する理由もなくなる。

最後に、猫猫先生がStefan Zweigをツバイクと書くのは気持ちが悪いとおっしゃった。その通り。私も気持ちが悪い。まあ、最終的には好みの問題に落ち着くのかもしれないが、押し付けられるのは嫌だね。因みに、ツヴァイクの発音はhttp://www.forvo.com/word/stefan_zweig/となるから、シュテファン・ツヴァイクあたりに落ち着くだろう。