Comments by Dr Marks

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査読が機能しない

これも猫猫先生からの話題なのだが、査読が機能しなくなっているのかもしれない。てか、なんちゅうか、小谷野先生が査読など信用できんとおっしゃる。その通りなのだろう。文系の学会など狭いもので、査読するほうだって言いたいことが言えない雰囲気なのかもしれない。とくに日本だし(実はアメリカも)。

かつて日本の自然科学系の査読事務(査読する立場ではなく、査読者を選んだり査読を管理する裏方)に携わった経験からすれば、さすがに会員数の多い自然科学系では(まてまて今「日本の」と言ったが、質の高い自然科学系は結局のところ英文誌で国際誌でもある)、査読は一応機能していた気がする。特にダブルブラインド制(著者の名前も査読者の名前も互いに知らないというシステム)では効果があった。もっとも、引用文献などから著者が誰かはたいていわかってしまうものではあるが。

特集を組むにしても、投稿論文を受け付けるにしても、編集委員長の役割は大きい。若くて、思い切り生意気で、ただし学問的にはしっかりした者にまかせればいい。それでも、人格的には公平な人間であるべきで、査読者と著者の論争が高度な場面で紛糾している場合は、査読者の反対を押し切ってでも掲載させてしまう度量のある人がいい。なにしろ、最後に是非を判断するのは読者なのだから。