Comments by Dr Marks

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バート・イーアマンの新刊 "Jesus, Interrupted" 紹介Part(2)

この本は以下のとおり8章の構成だ。(1)信仰に対する歴史からの攻撃、(2)矛盾した世界、(3)相違した見解の集まり、(4)誰が聖書を書いたのか、(5)嘘つきか、気違いか、はたまた主なる神か:史的イエスを見出す、(6)現今の聖書の由来、(7)誰がキリスト教を考え出したか、(8)信仰は可能か。

この各章のタイトルから、一部が既に彼の前作と重複していることは窺い知ることができるだろう。しかし、私は少しずつ私なりの感想なり「おちょくり」をやってみるつもりだ。1章は「歴史からの攻撃」と書いてみたが、内容は現在の神学教育の紹介の中で、素朴な信仰が理性的学問に曝される幾つかのトピックスが紹介される。中でも、考古学を含めた歴史学的な考察は有力な素朴な信仰への攻撃であった。物語に時代考証が加味されると、様相が一変するようなものである。

2章でも1章に続き聖書の矛盾した世界が明らかにされる。紙数の関係で彼は、四福音書パウロの手紙に題材を限定するが、もちろんその限定の中にあっても、彼が取り上げたものはほんの一部にすぎない。実は、取り上げられた矛盾や不一致は、彼の言を待つまでもなく専門家の間では常識的な内容なのだが、その常識を一般に開示していくのが彼の目的であるから陳腐と言ってはならないだろう。(彼の一連の著作がどうして専門家の間で専門的な書評を受けないかというと、「新しい議論を展開した専門書」ではないからだ。)

そのような啓蒙的な目的がある著作であるから、神学を正規の学校で学ぶ機会のない人たちに役立つ内容がこの章にもある。「聖書を横に読んでみなさい」という勧めだ。聖書を物語のように1章1節から読み始めて最終章の最終節に至るのを、彼は縦に読むと表現している。そうではなくて、例えば4種類ある福音書の場合は、ある場面や事件に関して横に並べて読んでみなさいという勧めだ。

福音書を横に読む場合は、実際に市販の便利本があり、イーアマンのように神学生に購入を薦める教師は多い。現代語訳版とギリシア語本文版がある。例えば、イエスの復活場面など、四つの欄に分けて対照できるようになっている。便利かもしれないが、高額なのと下の理由で私は薦めない。だから昔も今も私は持っていない。自分で作った。今ならコンピュータでデータベース化できる。そのほうが勉強になるし、作る過程で自分なりの問題点の発見になる。出来上がったものを買って眺めてみても役には立たないと思う。(教師が学生に説明するときは「えーと、Xページの対照表を見てください、ここで…」という具合に甚だ便利で、むしろ学生というよりは教師用でないかと勘ぐってしまう。)

前の章にあった笑い話では、弟子の話など聞いていないイエスのことを取り上げたが、この章の中での笑い話を紹介しよう。いや、話そのものより、イーアマンの珍説をおちょくってみたい。

まず、イーアマンによると笑い話はこうだ。質問:エルサレム入城の際、イエスは何頭の動物に乗ったか。答:マタイによれば2頭かも?!?

マルコ伝11章では明らかに子ロバ1頭だが、マタイ伝21章ではロバと子ロバの2頭が登場する。しかし、2頭登場しても、果たして2頭に乗ったかどうかは別の問題だ。

そもそもマタイ伝では何故2頭なのか。イーアマンによれば、マタイがゼカリア書9章9節を文字通りに解釈したからだと言う。すなわち、ゼカリア書でのロバと子ロバは「同義異語並列」であって、ロバと言ったり子ロバと言っているのは同じ1頭のロバ(ないし子ロバ)のことで、マタイが旧約の修辞法に長けていたら2頭と思っては書かなかったはずだと言う。(同義異語並列の他の例を挙げよう。「イスラエルはその造り主によって喜び祝い/シオンの子らはその王によって喜び躍れ」というとき、前の行と後の行はまったく同じ意味である。「イスラエル」の別名が「シオンの子ら」であり、「その造り主」と「その王」は同じである。)

なるほど、そうすると、イーアマンによればマタイの浅学ゆえか。しかし、イーアマンは、このロバと子ロバの両方の背に服を広げて両方に跨ったと解説している。彼は、それは奇妙な形だがそうだと断言しているが、果たしてそうか。そんな馬鹿な。違うはずだ。確かに21章7節では2頭登場するがロバと言われるのはギリシア語では雌ロバで、子ロバの母親であろう。乳離れしない子ロバは母親に付いて歩く。その程度の子ロバには乗れないだろう、イーアマン先生。伝統的な解釈どおり、ここでの子ロバは母ロバに付いてるだけだと思うが。(以上の話は、イーアマン同書2章の50ページ参照。)