Comments by Dr Marks

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θειος ανηρとLudwig Bielerという学者について

昨日の記事に関連して探していたら、15年も前の研究ノート(大学院博士後期で発表したもの)が出てきた。それまでの関心から転じて、神学に転科したばかりのことで、初々しいが既に学問的な基礎はできていたから、今読んでも良い出来映えだ。先生が発表後"Excellent"を数度繰り返してくれたものだ。まっ、それはどうでもいい。遥か昔の思い出にすぎない。

標題のギリシア語は正しくはセイオス・アネールと読むのであるが、ラテン訛りでテイオス・アネールと読まれているし、セと言ったつもりでもテと聞こえなくもない。セは英語のthの発音と同じと言ってもいい。意味は「聖なる人(聖人)」あるいは「神なる人」となろう。この言葉は聖書にあるわけではないが、1970年代から1980年代のキリスト論(Christology)の中で脚光を浴びたものである。(しかし、1990年代からは、キリスト論には無縁な概念であるというのが趨勢となってきた。)

この言葉を包括的に論じた学者として Ludwig Bieler(ルートヴィッヒ・ビーラー)が有名であるが、それはWalter Bauer(ヴァルター・バオエル)が自分の辞書の中でビーラーの著作(1935年刊、復刊1976年、ドイツ語のみ)を紹介したことがきっかけである。しかし、ビーラーの目的は中世の聖人伝であって、テイオス・アネールの研究以降は古代研究に戻ることもなかった。

ビーラーは1906年ウィーンに生まれたが、1938年にナチの手を逃れてアイルランドに行き、ダブリン大学で聖人伝の研究を続け、アイルランドに留まり、1981年に没した。著作はドイツ語のほか、英語のものもある。テイオス・アネール以外では、カトリックの学者の間でしか名前は記憶されていないと思う。