Comments by Dr Marks

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誰が呪術を行ったのか―いたずらに背景のせいにすると、本体が背景に隠される(BBC報道に見るアフリカ・コンゴの宗教と子供たち)

私のTwitterの流れの中で、二人の東大宗教学出身者が議論していた。私のこのブログ記事は、直接は二人の議論と関わるものではないが、この際一言述べておきたいと強く感じて書いたものである。

なお、自分自身で確認したい読者のために、議論の題材と背景資料をなるべくネットで得られるように配慮したが、いたずらに網羅しても煩雑であるため、最低限の紹介となった。また、直接の題材であるBBCの記事を含め、英語文献ばかりであることをあらかじめお断りする。

まず、「コンゴ民主主義共和国の危機(Crisis in DR Congo)」というこの見出しの記事の内容をかいつまんで紹介しよう。主役は呪術を行ったと疑われた子供たちで、12歳のアンリという男の子と14歳のジャンという同じく男子が証言している。この二人は浮浪児となったので施設に保護されている。また、この報道には国連ユニセフの協力がある。

アンリによれば、誰かが彼を呪術師と咎めたのを母親が信じ、母親自身が彼の腹をナイフで刺し、殺そうとした。母親はアンリの言うことは聞かず、咎め立てする人々の言葉だけを信じて我が子を刺したあと、家の外に放り出したが、アンリに身の覚えはない。

このような子供に呪術の嫌疑を負わせる事例は、ユニセフのアレッサンドラ・デンティス氏によると、東コンゴの北キヴ県だけで2008年に100件あり、翌年の2009年にはそのおよそ5倍にも昇った。

ここで、途中ながら、私が今まで仮に呪術と訳してきた英単語 “sorcery”(ソーサリー、呪術師はソーサラー)という言葉について説明しておきたい。一般の英日辞典では簡単に「魔術」という訳語を与えるようだが、一種の専門用語と思っていただいたほうがいい。この英語は英訳聖書の中ではおなじみのものである。ラテン語訳の聖書からフランス語等に入って英語ともなったものだが、新旧約聖書のうち、ギリシア語の原語が magic と同語源であるため、「魔術」なる訳語も誤りではない。

しかし、ソーサリーの実態は、冥界や死者の力を利用する呪術であり、日本語でも伝統的に「口寄せ」と訳されるものもこの一種である。口寄せとは、故人の力を利用して現世の問題を解決したり、未来を予言するものだが、日本でいえば、青森のイタコも口寄せを稼業とする一例となる。

さて、このソーサリーという行為だが、ユダヤ教キリスト教は、聖書の規定(例えば、レビ記19章)に基づいて、これを禁じている。従って、ソーサリーの行為がユダヤ教キリスト教の信者によってなされるのではなく、ソーサリーを排除する行為がなされるのである。この点を間違ってはならない。本来、ソーサリーは諸々の宗教に見られる行為であるため、コンゴでも土着の信仰にあったソーサリーを、カトリックの宣教師らは正しくない行為として教えてきたが、今はむしろ何もかも悪魔の行為として実践者を抹殺せんとする弊害として残存してしまった。私は仮に、これを「逆迷信(Reverse Superstition)」と名付けている。

かくして、別の被害児であるジャンの次第はこうだった。彼はたまたまナイジェリアのゾンビのホラー映画を観てしまった。映画の中では、棒状の小道具を使って死人を生き返らせていた。こういう映画を観たら子供は何をするか誰しもわかる。真似をするに決まっている。私は西部劇が大好きだったが、あのローハイド風のズボンが欲しくて母親に作ってもらったほどだからよくわかる。(今でも、ピストルやナイフが大好きで、子供のままだわ。)

ジャンは早速近くの墓地に行き、友達と映画の真似をした。ただそれだけだが、その行為を見ていた子供の一人が家に帰って自分の親に言いつけた。「ジャンはソーサラーだ」と。この告げ口子供の親は、ジャンを養っているジャンの祖父母にその旨を告げると、祖父母はジャンを叩いた上で(これがユダヤキリスト教的!)地方役人に引き渡した。地方役人もジャンを叩き、ソーサラーであることを告白せよと迫る間、外ではジャンを殺害しようとする群集が待っていた。

実は現在は、そのような魔女裁判的な行為に地方役人が加担してはならないという法律がコンゴにあるにも拘わらず、「逆迷信」による犠牲者は跡を絶たない。法律家のアントニー・ファンバー氏によると、呪術を行ったとして、自分自身の子供すら糾弾する政府役人が存在するほどである。

この記事の趣旨は、私が言うところの「逆迷信」の撲滅と、その被害者である子供の救済がユニセフ等の活動ということだろう。確かにこの背景には、ザンビア難民の大半がコンゴからの避難民であることからわかるように、度重なる内乱の中で、コンゴ人は食うにも事欠いているわけだから、口減らしのために最も無力な子供たちが犠牲になっているという背景はある。しかし、背景を理解することで終り、この具体的な子供たちの証言を大きな背景の中の捨石としてはならない。それこそ本末転倒であろう。

私は、Twitterでのお二人の議論の中で、このコンゴの子供たちのことを報道したBBCの記事が紹介されたことに感謝している。宗教を学ぶ者であろうがなかろうが知っておくべきであろうと思った。知ることなしには行動もないのだから。

(徹夜明けの書きっぱなしなので誤植等は多いかもしれない。後日読み直して訂正するかも。ということで、ごめん。疲れたわ。一杯やるか一服するかなんてね。実は酒も弱いし、禁煙・嫌煙ファシストではないが、自分では煙草は吸わない。だから、何か食べる。)

BBCの記事:http://news.bbc.co.uk/today/hi/today/newsid_8530000/8530686.stm
コンゴの宗教事情:http://en.wikipedia.org/wiki/Religion_in_the_Democratic_Republic_of_the_Congo
コンゴの政治事情:http://en.wikipedia.org/wiki/Second_Congo_War