Comments by Dr Marks

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「カトリシズムの倫理と資本主義の精神」について

宗教を話題にするとあまり読んではもらえない。かといって、宗教話題の記事を求めていらっしゃる方もいるから、離れることもできない。今日はふと耳にしたことから、ふと思ったことを、宗教のようでもあり宗教のようではないようなことを書いてみる。標題はもちろんマックス・ウェーバーのもじりだが、プロテスタンティズムよりも昨今はカトリシズムのほうが合っているような気がするのだ。もちろん真面目に取られては困る。第一、彼のこの本は、私自身としては好きではないのだ。

ロスアンジェルスは、プロテスタントの教会も多いが、ローマ・カトリックの教会がもともと多い。中南米からの人はほとんどがカトリックだし、ヨーロッパからの人も意外にカトリックが多いのだ。しかも、彼らの宗教意識は高い。今日、会った(前からの知人だが)ドイツ系の女性は、宗教改革と反宗教改革で新旧キリスト教が鎬を削ったお国柄か、プロテスタントへの対抗意識も強く(敵愾心はない、念のため)、それゆえ信仰にも熱心だ。

それに引き換えプロテスタントの今頃は(一部の原理主義系を除けば)宗教心などない。ただあるのは社会への関心だけで、政治にまで首を突っ込んでIRSから免税特権を剥奪されかねないところもある。特に当地のような都会では、インテリと称する信者が聖職者を煽るから、ゲイマリッジ賛成どころか、ゲイの女僧正が今度当地に赴任するというような具合である。米国聖公会のことだが、忌々しい。

聖公会といえば、昔の日系の聖公会なんかよかったぞ。こんな話を聞いた。ついでだから話す。40年前だ。司祭(牧師)がユダヤの女に恋をしてしまった。教会の人々は大騒ぎ。司祭が彼女によってユダヤ教に改宗させられたら大変だというわけだ。幸いなことに女性のほうがキリスト教徒になって、司祭の信仰は守られた(!)。今なら個人の自由でしょ、くらい言って、ユダヤ教徒のカミさん連れた牧師でもOKなんだろうな。だいたい聖職者もサラリーマン化しているから、細君が何であれ関係がない。赴任してきた牧師の細君の顔を見ないうちに転任していく牧師もいるくらいだ(つまり、数年にわたって夫の教会に来たこともない)。

しかし、細君が同じ宗教でなかったら、本来は聖職を辞すべきだと思う。わが親類にも夫が大学のプロテスタントのチャプレンで妻がカトリックというのがいる。教会牧師ではなく大学チャプレンだから、まあいいかとも思えるが、妻がユダヤ教徒イスラム教徒なのに、自分の職業がキリスト教徒の牧師というのはちとおかしい。牧師職は辞任するべきだ。カトリックの司祭が結婚したら司祭職を辞任するように、その程度のけじめは必要だろう。

ことほどさように、プロテスタントは出鱈目だ。彼らは、ともかく政府や社会に不満を口にしていればいい。心ある信徒は現状を本当は嘆いているだろうが、聖職者が馬鹿だから、信徒も一緒になって赤旗ふっていれば信仰熱心と思っている馬鹿が多くなった。嘆かわしい。

あくまでも見聞きしている範囲で、統計があるわけでもないが、どうも勤勉なのはカトリックの信徒だ。今日会った女性は、1950年代のヨーロッパ旅行記の原稿を持っているので会ったのだが、出版に至るかどうかはわからない。それはともかく、こんな話をした。ワシントンDCにいる孫の成績がとてもいい。このまま公立学校で並みの教育を受けさせるだけでは惜しい子だから、カトリック系の進学高校に入れることにした。娘にはそれほどの余力がないので、孫のためにマリブの家を売って、孫の希望する医科大学院を卒業するまでに十分な金を与えたそうだ。

確かに、高校でも並みの大学以上の年間3万ドル(あるいはそれ以上)掛かるようなのが私立の進学校なのだ。多くは宗教系の学校である。ただし、その際は絶対にカトリックでなければならないそうだ。そうだよね、聖公会系などやめたほうがいい。で、マリブというのはロスアンジェルスの高級住宅地の一つ。本人は、同じ高級住宅地のブレントウッドに住むが、余分な家をマリブに持っていたらしい。ずいぶんと若いときには熱心に仕事して稼いだと聞いている。

さて、落ちにもならないが、この女性、孫自慢に最後に付け足した。孫はね、「おばあちゃん、ありがとう。僕は医者になって働いたら、神様に喜ばれるように病気の人や貧しい人のために尽くすよ。でも、僕のために売ってくれたマリブのあの家も買い戻すよ。約束するよ」と言ったそうだ。まあ、14歳だというこのガキ、どうでもいいが頑張ってくれ。かくしてアメリカの資本主義の精神はカトリシズムの倫理によって保たれるようになるのだろうか。