Comments by Dr Marks

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ショローム・アレイヘムの小説『永遠の命』(第四回)

無断転載禁止。舞台は帝政ロシア時代末期のウクライナポグロム(ロシアのユダヤ人虐殺)が始まる前で比較的平和な時代。
毎回、次号に「続く」をどこにするか考えている。今日の場合、「あれっ、これって怪奇小説?」と思ったかもしれないが、断然違う。むしろ、正真正銘のリアリズムだ。ただし、諧謔味にあふれ、人間賛美で、けっして暗くもなく、辛らつで皮肉たっぷりということもない。余分なことを言うのはよそう。Enjoy!


こんな「幸運」に遭遇してしまったら、もはや永遠の命どころではない。さっきのぼろ宿にすぐさま帰る気持ちになったが、時すでに遅し。御者が言うことには、私たちは進むのも引き返すのも無理なそうだ。荒野の真っ只中をさ迷っているわけだから、いったいどこにいるのかは悪魔しか知らないのだ。道は雪に隠れ、空は真っ暗。夜もふけた。馬は死ぬほど疲れている。御者は罵(ののし)りだした。

「願わくはあの宿屋の主人に悲惨な最期があらんことを、いいや、世界中の宿の主という主にだ! あの宿に足を踏み入れる前に、私はなぜ脚を折らなかったのか悔まれる。あのウィスキー一杯目でどうして息を詰まらして死んでしまわなかったのか。こんな馬鹿げた話に巻き込まれて、こんな荒野の中で、愛馬とともに半ルーブルのせいで悲惨にも滅びる前にだ。俺自身のことは大した問題じゃない。こんな所でひどい最期を迎えるというのが俺の運命だったかも知れんからだ。だが、かわいそうな痩(や)せ馬は、何をしたというんだ。罪もない動物が、こんなふうに犠牲になっていいのか。」

誓って言うが、彼の声には涙なんか感じない。だけど、彼の機嫌を直そうと思って、もう半ルーブルとウィスキー二杯を勧めてみた。この申し出に、彼は怒り狂ってきっぱりと言った。「その口を閉じねーと、荷物をみんな橇から放り投げてやるぞ。」それで私は考えてみた。彼が私と死骸を雪の中に放り出したら、いったいどうすりゃいいんだ。こんな野郎がいったん正気を失ったら、何をしでかすか誰がわかろう。黙っているしかなかった。枕に身を沈めて橇に座ったが、眠り込まないように気をつけた。なぜって、第一、こんな気違い男の目の前で死体と一緒に寝たらどうなる。それに、冬の時期には屋外で寝ちゃならないと聞いていた。そんなことをしたら、永遠に眠り続けることになるからね。

しかし、その決意とは裏腹に、目が重くなって閉じたままになってしまった。この瞬間にほんの少しでも寝かしてもらえるなら、代わりに誰に何を差し上げても惜(お)しくはなかった。だから目をこすり続けたのだが、目は言うことを聞かない。両の目は、ゆっくりと閉じ始めるから、慌(あわ)てて目を開く、するとゆっくりとまた閉じ始める・・・。そんなとき橇が柔らかくて深い白い雪の上に乗り上げたのか、不思議に甘ったるい麻痺(まひ)の感覚が四肢を伝わってきた。すると、異常な静けさが天から舞い降りたように感じた。そして私は、この麻痺と静けさが、いつまでもいつまでも続くように願ったものだ。永遠に続けばいいと思った。しかし、何やらわからない力が、どこから来るのかもわからないが、側に立って私を小突いた。「眠るな。眠り込んじゃだめだ。」渾身(こんしん)の力で私は両目をこじ開けると、麻痺の感覚は骨々に染み渡った寒気の中に消えていった。すると今度は静けさが、恐れと萎縮(いしゅく)と憂鬱に変わっていった。ああ、願わくは神のご慈悲がわが身にありますように! するとそのとき、私の運んでいた死体が揺れ動いているのを感じた。その体の覆いを取り払って私を見つめ、半分閉じた目で私にこう言っているようだった。
「何か私に恨みでもあるのかえ、お若い方。どうして私のような死んだ女、小さい子供たちの母親をこんなところへ引きずり出したんだい。しかも、それどころか、休らえるはずの聖なる土に運び損ねるとは、いったい何なのさ。」

風が吹いた。それは人間の声で叫んでいた。まさに私の耳にヒューと入り込み、恐ろしい秘密を打ち明けているかのようだ。命が縮むような考えや怖い思いが次から次へと心に湧いてきて、私たちすべてが雪の下に埋もれているような気がしてきた。私たちすべてとは、御者、馬、死んだ女、そして私だ。そして、私たちは皆、死んでいる。みんなだ。しかし、驚くじゃないか、あの死体だけが・・・あの死んだ女、宿の女将だけが・・・生きていた!

(続く)