Comments by Dr Marks

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ショローム・アレイヘムの小説『永遠の命』(第六回)

そうこうするうちに陽は徐々に高く昇り、町も生きているきざしが出てきて、ようやく本当の朝となった。どこかの家の戸がきしむ音がしたときには、樽一杯分の安堵のため息が出たものだ。いくつかの煙突から煙が立ち昇り、遠くのニワトリの声が次第に大きくなり強くなっていった。間もなく、近くの家々の戸口が開き、牝牛、子牛、ヤギ、また人間の男や女という神の被造物が姿を現した。ショールで頭からつま先までミイラのように身を包んだ若い娘さんたちも出てきた。簡単に言えば、町全体が一個の生身の人間のように生きて現れたのだ。まるで、人間がベッドから立ち上がり、顔を洗い、身支度をして、仕事を始めるようなものだ。男たちは、シナゴーグに行って、祈ったり聖書を学んだりトゥヒリム*1を歌う。女たちは、かまどに火をおこしたり、子牛やヤギの世話。かくして、私は、埋葬組合役員のレブ・シェプセル、レブ・エリエゼル=モイシェ、レブ・ヨッシの許へお願いに出かけることにした。

どこに行ってものを尋ねても、町の人は私を確かめるように聞き返す。どのシェプセル、どのエリエゼル=モイシェ、どのヨッシというように。もっとも、彼らの言うことには、シェプセルもエリエゼルもヨッシも、この町には何人もいるそうだ。そこで、私が埋葬組合*2の役員さんに会いたいんだというと、彼らはちょっとたじろぐが、若い男がこんなに朝早くから埋葬組合の役員に会いたがる事情を詮索したがった。長々と詮索されるのは嫌だったが、心を開いて、自分が招いて背負い込んだ重荷の次第だけは隠さず話した。すると何が起こったと思うかね。町の人たちは、わが身に降りかかった不幸を慰めてくれたと思うかね。まさかだ! あいつらは早速橇のほうに走り出した。そう、話を聞いてた者は一人残らずだ。何しにかって。本当に死体があるのか、私が作り話をしたかどうかを確かめに行ったのさ。あいつらは私たちの橇の周りに輪になっていたのだが、寒いのであちこち動き回り、立ち居地を入れ替えながら、覗き込んだり、首を振ったり、肩をすくめたりしながら、何度も何度も遺骸は誰かとか、どこから来たかとか、私が誰で、どこでこんな死体を拾ってきたのかとか聞くばかりで、何一つ助けになるようなことはしてくれなかった。

大変な骨を折りながらも、何とかレブ・シェプセルが住んでいる所は探し当てた。探し当てたときに、彼は壁に向かってタリスとトゥフィリン*3を身につけて極めて熱心に祈っており、祈りの声の旋律は、まるで壁が実際に歌っているかのような感じがした。指の関節をぽきぽきと鳴らしながら、体を前に後ろに揺らしながら*4奇妙な運動をしていた。私はじっと見とれてしまった。まず、そのような霊的に高揚した祈りが好きであったし、また、ついでに冷え切った体を屋内で温めることができたからだ。レブ・シェプセルがやっと私のほうに向き直ってくれたときは、彼の目は涙に溢れていて、まさに神の人のように見えたものだ。彼の魂は遥かに遠く地上を離れ、大きくて太った体さえも天に届かんばかりであったからだ。しかし、彼はまだ祈りの途中であり、世俗の問題で邪魔されたくなかったから、神の特別の言葉*5で私に話しかけた。つまり、祈りの声とともに、手の仕草、まばたき、肩の揺すり、更には鼻のうごめかし、そして短いヘブル語の投げかけ、それらすべてだ。お望みなら、そのときの会話を逐語的に紹介いたしましょう。以下、どれが彼でどれが私かはおわかりだろう。

「ショローム・アレイヘム(こんにちは)レブ・シェプセル。」
「アレイヘム・ショローム(同上)まあ、掛けなさい。」
「ありがとうございます。しかし、一晩中腰を掛けていましたから。」
「ヌ(それで)? マ(何か)?」
「お願いがあります、レブ・シェプセル。あなたが永遠の命を得る話です。」
「永遠の命とな。結構。どうすればいいのかね。」
「あなたにご遺体を運んできました。」
「ご遺体! どんなご遺体だ!」
「ここから遠くないところに、田舎の宿屋があります。そこの主は女房が肺病で死んだばかりのかわいそうな男で、その女房は何人もの子供を残して死にましたから、神の憐れみがその者たちのうえにあるようにと願っています。もしも私があの者たちをかわいそうだと思わなかったら、気の毒な宿の主は、このご遺体とともに、あの荒野の真っ只中に取り残されて今頃どうなっていたか、想像もできません。」
「神の憐れみがその者たちの上にあらんことを。さて・・・それで彼はあなたに葬儀組合のことで何か渡しましたか。」
「いや、あの男がどこでそんな金を都合できましょうか。彼は貧乏人です。これ以上ない赤貧のうえ、家中子供だらけです。あなたは永遠の命が手に入ります、レブ・シェプセル。」
「永遠の命か。よろしい。非常に結構! ユダヤ人。貧しき人々・・・ああ、そうだろう。」

すると、ここのくだりで、彼は奇妙な音を立て続けに出して会話を中断した。その音には非常にたくさんの身振り手振り、つまり目を開けたり閉じたり、頭や肩を上げたり下げたりする動作が伴っているが、何を意味しているのかは、皆目わからなかった。

それを見つめ続けたが、やはりまるでわからない。彼は今度は、むかついたような顔をして壁に向かい再び祈り始めた。しかし、前のような情熱は感じられなくなった。声は低くなったが、前後に体を揺さぶる動作は前より速くなった。そして、挙句に、彼はタリスとトゥフィリンを私に向かって投げつけた。その剣幕といったら、知らない人が見ていたら、私が何か彼に対して取引で裏をかくようなことをしでかして、全財産をだめにしたとでも思うに違いないようなものだった。

(続く)

*1:旧約聖書詩篇

*2:埋葬組合は、ユダヤ人たちの埋葬のための互助会で、死の直後から葬式が終わるまですべてを取り仕切ってくれる。

*3:連載第一回の脚注5と6参照

*4:一生懸命祈る姿は米つきバッタのような仕草になる。ユダヤ教徒キリスト教徒、イスラム教徒のみならず、多くの宗教に見られる祈りの動作。

*5:異言。祈りにおいて発せられるという特別の言葉で、社会的に通用する現実の言語ではない。パウロも異言を語った(第一コリント14:18)のは、使徒行伝2章のキリスト教的奇蹟というよりは、私はユダヤ教的な習慣だったと思っている。