Comments by Dr Marks

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今まで「お茶会」運動(Tea Party Movement)について書かなかったわけ―あるいは保守 Dr. Marks でさえ懸念するわけ


そもそも Comments by Dr Marks は、このブログのプロファイルにもあるが、政治的なコメントをするためのものではない。だから、「お茶会」(Tea Party Movement とか Tea Party Protests とか Tea Party Patriots と呼ばれる保守系の米国市民運動)についても言及する理由はもともとないのだが、そろそろだから少しだけ紹介しておこう。詳しくは Wikipedia とか、彼らのサイトはいくらでもあるから勝手にお探ししてくだされたしねんな。

歴史的に「お茶会」といったらBoston Tea Party (日本の検定高等学校教科書は確か「ボストン茶会事件」と訳したかな)のことだが、いい加減な奴は、これは「代表なければ課税なし」と怒った植民地アメリカが本国イギリスに正統な権利を主張した歴史的快挙などとぬかす。嘘。

そもそもね、(そもそもが多いな)近頃のカリフォルニアには「税金納めた者には選挙させろ」などという輩が出てきたが、税金と選挙権は別だよ。市民だけに選挙権があるのであって、外国人は商売で儲けたり生活しているのだから税金を払う義務があるが(その代わり、住民としての権利を享受できる)、選挙権を与えられてはならない。選挙は、国家の根幹に関わるからだ。(日本も馬鹿なことはしなさんな。)

ボストンの「お茶会」の前に、印紙条令(1765年)が出て、「代表なければ云々(no taxation without representation)」というのは、そのときの話だ。そして、印紙条令は本国の支援者もあり、翌年撤回された。茶条令(1773年)は、本国が経営難の東インド会社に免税を許可したことにより、権益を侵されると思ったアメリカのごろつき輸入業者(東インド会社より安い茶を輸入していた密輸業者)がインディアンに扮装して東インド会社の船舶を襲い、茶を海に投げ捨てた海賊事件なのだ。正義の行動などではないわいな。

もっとも、その前にタウンゼンド条令(1767年)とかボストン虐殺(1770年)があり、植民地アメリカの本国イギリスに対する怒りは徐々に高まってはいたのだが、ボストン茶会事件自体は自由への戦いでもないし、重税に対する抵抗運動でもない。

さて、現在の「お茶会」だが、事の起こりは、昨年の2月頃、不良資産救済計画(Troubled Asset Relief Program)に血税を充当することへの反発であったが、その運動のきっかけを作ったのは、グレアム・マコーニーク(Graham Makohoniuk)がおふざけでティーバッグを上下両院に送りつけたことらしい。更に、4月15日の市民の所得税申告期限日、7月4日の独立記念日、9月11日のテロの日、11月(健康保険法に反対)、そして本年3月のセイラ・ペイリンらも参加した長期大会というふうに推移している。

基本的な政治信条は、TEA の語呂合わせではあるが 「Taxed Enough Already(もう十分課税された)」という標語にもあるとおりだ。無用な重税や貧困層(ほとんど無税の市民および移民)への納税負担に対する中間層市民の不満がこの運動に現れている。この運動は次第に大統領選を頂点とする種々の選挙運動の母体となるだろう。

しかし、それがそれだけならそれでいい。まわりくどい言い方で恐縮だが、諸外国に見られるような示威運動(デモ)を主体にした活動にならないことを祈る。示威運動が已むに止まれぬ抗議行動だというのには疑問がある。確かに、歴史的あるいは状況的に極限の状態では、自然発生的な示威運動があるのかもしれないし、許されるのかもしれない。しかし、基本的に、示威運動は、民主主義とは程遠く、武力主義であり、かつ愚民主義である。狂信であり、ファッショと変わらない。