Comments by Dr Marks

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オバマがエレーナ・ケーガンを最高裁判事に指名したのは正しい判断か(6人の専門家に聞いたCNN)時事問題にうるさく発言するような者は最高裁判事にふさわしくはないだろう、その点、彼女は非常によい(典拠→http://bit.ly/aqVfsJ)

よその国の最高裁判事のことなど日本ではあまり話題にもならないだろうが、アメリカではもちろん重大な関心事であり、私が食事をするたびに観ているテレビニューズでは、どのチャネルにしても毎回取り上げられていた。なかなか堂々としているし、笑うと可愛い。ユダヤ人なのに背の高いオバマと並んでも小さく感じなかったが、余の細君より1インチ小さいようだ。さてはハイヒールかな。

と、冗談はさておき、細かいことは元記事を読んでもらうことにして(今日は不親切だが訳して紹介している時間がない、ごめん)、6人中、あからさまな批判者は1人だけ。2人は好意的。3人はようわからんコメントの仕方だ。そういう玉虫色のコメントにも共通するが、彼女の学歴には非の打ち所がなく、弁舌・筆力ともに爽やか、かつ押し出しが立派で、ユーモアたっぷりの優れた教師であることには異論がない。しかし、彼女には判事としての経験が欠如していることを指摘する声は多い。

6人のコメントの中で、皮肉で言っているのには違いないが、最高裁判事になろうとするならば誰でも、重要な社会的法律論争に関しては、今後は彼女のように口をつぐんで何も言わないのが得策という戦略が流行るだろうというのがある。はははは、と笑ってはみたが、よく考えれば当たり前ではないかと思った。確かに、誰が最高裁判事になるのか気にするときの、我々市民の判断根拠は、ゲイ問題について、ガンコントロールについて、移民問題について、エトセトラ・・・どのような発言をしてきたかということだった。

しかし、それは本来おかしい。裁判官は、現実に法の判断を求められた具体的事例について、予断なく法に照らして判断するわけだから、事前の裁判官の「政治的」な意見があってもらっては困る。むしろ、「政治的」にアクティヴな人間こそ排除すべきであって、無意味な「政治的」意見の表明をしてこなかったケーガン先生のような人こそふさわしいのではないかと思う。オバマのお馬鹿でも慧眼を持つことはある。