Comments by Dr Marks

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アメリカの移民の歴史:簡略スケッチ(1820年−現在)日系人、ユダヤ人など

移民と移民法が、どの選挙でも争点となっているため、非常に簡単ではあるが、アメリカの移民の歴史をスケッチしてみる。主として英国の植民地であった米国は、アングロサクソン(といっても英国人が主)の移民が主であった。アメリカが独立してからも、約半世紀を経た19世紀の初頭まで、その状況は変わらなかった。

1820年代に入ってニューヨークから五大湖に抜けるエリー運河ができる頃になると、北部ヨーロッパのアイルランドスウェーデンノルウェーデンマーク、後のドイツ領からの農業移民が増えていった。シカゴ周辺の中西部の農業地帯は、それぞれの出身国別に固まって移民する傾向が強かった。彼らは中西部の寒い気候に適した人々だったと言ってもいい。

この頃(1840年代)、カトリック教徒やドイツ人が優勢になるのを嫌った英国系の排斥主義者が「何も知らぬ団(Know-Nothing)」を結成して妨害を行ったが、南北戦争後には下火となった。しかし、人種差別の傾向は根強く、移民の数は少ないのに1882年には支那人排斥が行われた。日本人に対する明確な排斥はなく、ニューヨークの街角で「支那人か」と聞かれて、日本人であることを示せば問題はなかったというのはこの頃である。

1880年代になると、南欧のイタリア人、ギリシア人、東欧のハンガリア人、ポーランド人に混じって、欧州での迫害にあったユダヤ人も多く移民するようになった。この頃の移民は、農業というよりは繊維産業の働き手として都市に住むことが多かった。エリス島が欧州からの移民受入れに備えて開かれたのは1892年のことだった。仕立て屋やイーディッシュを話すユダヤ人が移民したのはこの頃で、それは1920年代の初めまで続く。

ところが、またもや移民の増大に危機感を抱く層による移民制限同盟(Immigration Restriction League)が1893年に結成され、第一次世界大戦を経て、1921年から1924年の間に出身国法(National Origins Act)というアメリカにすでに生活している出身国(人種)の比率を基に、同比率の移民しか受け入れない(racially based quota system)という法律が施行された。これで事実上、比率の低い日本人などは(当時、ハワイの日本人はアメリカ人ではない)移民できないことになった。このことはユダヤ人にとっても同様で、以降の移民を難しいことにしてしまった。(なお、「1924年の排日移民法」と俗に日本では信じられているが、そのような法律は存在しない。National Origins Act であり、日本人だけが対象ではない。)

この悪法は、第二次世界大戦を経て、1965年にハート=セラー法(Hart-Celler Act)が施行されるまで続いたが、その前にナチスの迫害を逃れたユダヤ人や、ハンガリー蜂起(1956年)が失敗した後やキューバからの難民引き受け(1960年)などの政治的亡命者の受入れはあった。このハート=セラー法のポリシーは、米国在住の家族の存在や労働技能(family relationships and job skills)であり、現在もそうである。

この1965年以降は、再びギリシア人、イタリア人、ポーランド人、そしてユダヤ人も多く移民してきたが、朝鮮人支那人、インド人、フィリピン人、パキスタン人、アフリカ人も増えてきた。朝鮮戦争の後に朝鮮人が増えたように、ヴェトナム戦争の後にはヴェトナム人も増えた。また、あまり言われないが、戦前のハワイ移民の沖縄人とは別に、連合国施政下に沖縄から移民した沖縄人も少なくない。日本人の米国移民は極端に少ないため、抽選で永住権を得ることができるわくがある。応募の条件は日本人というだけで、とくに他の制限はない。毎年100名ほどである。

第二次世界大戦が終わったからといって、アメリカが解放されたユダヤ人を自由に受け入れたわけではない。英国施政下のパレスチナ、更に建国(1948年)後のイスラエルに帰還したユダヤ人以外は、ヨーロッパ各地にユダヤ人難民(Jewish Displaced Persons)として留まっていた。いつもルーマニア料理を作ってくれるメリーHもイタリアの難民キャンプにいて、1965年の新法によって移民した第一号の一人だ。なお、彼女が入国したときは、エリス島はその役割を終えていた。(エリス島の閉所は1954年。)

ともかく、アメリカは移民が築き移民が多様性を持ち込み、それゆえに豊かな文化も育った(旧大陸人や日本人は馬鹿にするかもしれないが)のだから、移民に冷たくしてはいけない。移民のハードルを高くするとろくなことはない。余は共和党員だが、移民に厳しすぎる者には献金してあげない。(たった1回10ドル程度だが、年間で100ドルくらい上げていた議員に、これからは上げないことにした。)