Comments by Dr Marks

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言葉でごまかしてはじめたブログ:「差別」とか「ゲイ」とか、英語の話だけど

日本語の世界だけでなく、どの言葉も虐待されている。虐待が極まれば、聖書から「らい病」という言葉が消えたり、猫猫先生校閲者と喧嘩したりすることになるのだろう。困った世の中だ。(誤解のないように、喧嘩に至らせるような校閲者が困るのであり、喧嘩する著者を支持するのが余である。)

余は生活において古い本もよく読む。先日は Twitter で call a spade a spade(スペードをスペードと言う、ありのままに言う、歯に衣着せず言う、白は白黒は黒の意味)を連発したら、随分とご執心ですね、とガメ氏にからかわれた。現在、これも禁句のようで50年前なら盛んに使われたのに今は駄目になった。「二ガー」のことを指すからというのだが、そりゃとんでもない都市伝説なのだが。そういえば、余の遠縁(でも付き合いは頻繁)のニューヨークの一家の苗字はスペードだ(白人だけど)。あいつらの一人を捕まえて call a spade a spade してみよう。

そうそう、差別ね。これは哲学書などでは認識作用などでのれっきとした学術用語だ。Discrimination! もっとも、今調べてみたら日本語では「弁別」という訳語を当てているようだが。もちろん、日常の英語でもAとBを区別するような場合に使われた。今なら仕方なく discernment を使うこともあるが、これだと動詞はともかく名詞にするとしっくりこない。どうも現代人が妙な意味合いを強調しすぎるのは迷惑だ。

ゲイ(gay)は別な意味で虐待された言葉だ。本来は、陽気で快活で楽しいという意味なのに、どうして陽気で快活で楽しいのは「ゲイ」のお兄さんたちだけになってしまったのだ。余はストレートだがゲイじゃよ。文句あっか。以上はいずれも50年前なら状況が違っていた。言葉は変わるから今後もいろいろ起こるのは仕方がないが、言葉を虐待するんじゃねー、って馬鹿どもみたいにデモでもするかな。