Comments by Dr Marks

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「採点の祭典」なんていうと、採点される身にとっては酷だよなあ

採点なんて、まずはめんどくさい。100人200人と採点する場合は助手の手を借りるのだろうが、こちらは元々助手みたいなものだし、多くて50人程度だから自分だけでする。しかし、助手に採点させるのは問題もある。教授よりすぐれた助手もいるが、たいていは教授より劣るから、すぐれた答案の良さがわからないことがある。余は、学生時代は天才であったから、凡才の助手が採点した場合は教授に直談判したものだ。堂々と、「明きめくらのあんたの助手がこんな点を付けたけど、こんなんでいいんか」って脅した。

採点なんて、めんどくさいものだから、なるべく簡単に採点できるような問題作りをするのが賢い方法だ。しかし、時には誘惑から凝りすぎた問題を作ってしまい、後で泣きをみることもある。試験というものは、客観的な事実だけを問い、その知識や判断力を評価するものだから、意見や何らかの主張を述べさせるのは、本当はよくない。弁論や論文であればかまわないが、普通の試験に「意見」は馴染まないのだ。

ただ、学問が結局は議論の場(論文や学会発表)を最終場面とするのであれば、基礎的な試験の中にも、多少の「意見」の場を設けてもよいことになる。よいことはよいのだが、さて採点(評価)となればどうだろう。意見だけ聞いておいて採点しないというのも人を馬鹿にした話だから、やはり評価(採点)する。その際の基準が問題だ。多分、普通の弁論の基準が適用されることになろう。

採点なんてめんどくさい理由の一つは、何だこの野郎(女郎もいるが)この程度でも単位が欲しくて受験したのか、というようなものも何とか合格に持っていく高度な採点テクニックを駆使しなければならないことだ。これこれしかじかだから、こんなんでも一応合格ですよという理由付けしてから合格させる。お情け合格のアフォな本人は、こんな苦労を知らずに、「わっ、通った」といって喜ぶんだろうね。

しかし、採点は楽しくもある。こちらが予想もしなかった視点からの素晴らしい答案に出会うと嬉しいし勉強にもなる。ああ、こいつ余よりも頭いいや、って。だから採点は祭典。