Comments by Dr Marks

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宗教の効能だけを説いて副作用を説かない宗教学者は駄目。多元の価値だけ説いて多元の中の頼りがいの差を説けない(解けない)宗教学者は阿呆。

刃物は役に立つが気違いに刃物である事例は多い。おそらく、まともな宗教学者や宗教家なら、宗教の人生における効能だけではなく危険性を認識しているはずである。そりゃー当たり前でしょ、と言うかもしれないが、妙に物分りのいい学者などは、薬害のあるドラッグをばらまいていることに気づいていない。

妙に物分りがいいと言えば、宗教多元論者というのは、たいてい多元の相対性(Relativity)を主張するあまり、あらゆるものを同価値に見てしまい、それぞれには異なった信頼性(Reliability)があることには気づかない。というより、ディスクリミネイト(差別というより本来の意味の判別)する気力がないか、その術がわかっていない。白痴のような人間だ。

余としてはめずらしいが、言いっぱなしのブログとしてみよう。たまにはいいだろう。