Comments by Dr Marks

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『メリー・ポッピンズ(Mary Poppins)』と『コックル夫人の猫(Mrs. Cockle’s Cat)』の関係

柄にもないことを書く。素人の世迷言だからそのつもりで読むこと。実は、もともとメリー・ポッピンズのことは付け足しで、コックル夫人の猫(オス猫のピーター)の心理が、なんとなくいなくなった隣家のオス猫ルーファスとそっくりだと思っていたことをいつか書いてみようと思っていたのだ。

ピーター(ペテロ)もルーファス(ルフォス)も新約聖書の登場人物ではあるが、そんなことは欧米の人名にはありふれたことで問題にもならない。ところが、今回、メソディストの総本山である聖パウロ大聖堂(St. Paul Cathedral)の北側にある付近のサラリーマンがたむろする広場のスタバで美味くもないスコーンで一服しているときに、あれっ、と思ってしまった。この広場から南側の大聖堂がメリー・ポッピンズに出てくる鳩の餌屋の婆さんのいたところではないか。

餌はタップンス(tuppence)1 枚すなわち2 ペニーであることはジュリー・アンドルーズ(Julie Andrews, 1935-)の歌のとおりだ。聖パウロ(セント・ポール)の庭で子供を相手に餌を売る婆さんがメリー・ポピンズの映画に出てくるが、コックル夫人は同様に子供を相手に街の広場(場所は不明)で風船を売っている。彼女は未亡人で子供もなく、オス猫のピーターと暮らしているというと、かならずピーターと対になる二大聖人であるポールを思い出さないほうがおかしい。更に、もっと大きな共通点がある。

しかし、その前に、余としては、コックル夫人の猫で秀逸と思われるのが猫のピーターの心理描写だということをネタバレを恐れずに書こう。この猫はコックル夫人に愛されていることを知りながら、魚を食べたいがために家出する。家出する際には、夫人に覚られないようにして入り口に向かい一目散に脱走するのだ。夫人がいくら呼んでも、覚悟の家出だから戻ってきはしない。

ある偶然から、脱走犯であるオス猫ピーターは、長い時を経てコックル夫人に見つかってしまう。彼は今、新鮮な魚をふんだんに食べさせてくれる漁師のところに住んでいるのだが、夫人に見つかっても知らぬふりをして、あさってのほうを見て夫人と漁師の会話に耳をすましている。そうしているうちに、ふと夫人と目が合ってしまったピーターは、観念して夫人になでなでしてもらうのだ。

さて、再会に至ったその偶然だが、コックル夫人が売っている風船と風の力で空を飛び、漁師の船の上に着陸したところ、その船の舳先にオス猫ピーターが座っていたのだ。そう。空を飛ぶのはコックル夫人だけではない。メリー・ポッピンズもロンドン名物の蝙蝠傘を差して風に運ばれて空を飛ぶ。

再三述べたように、余としては『コックル夫人の猫』の気に入ったところはオス猫ピーターの心理描写であって、もっともつまらないのが夫人が空を飛ぶところだ。しかし、これは男で大人の余の好みであって、女子供は空を飛ぶご婦人方というのは面白いのかもしれない。

最後に、この両作品のことを蛇足ながら述べておこう。『コックル夫人の猫』は、原作の挿絵が入っているかどうかは未見で知らないが、日本語訳はある童話集に収録されているらしい。英国では今でもよく売れる童話の一つである。

『メリー・ポッピンズ』のシリーズは、P. L. トラヴァース(Pamela Lyndon Travers, 1899 – 1996)の作品で、挿絵はメリー・シェパード(Mary Shepard, 1909 – 2000)だった。ディズニー映画になったのが1964年だった。『コックル夫人の猫』はフィリッパ・ピアス(1920 – 2006)の作品で、刊行は 1961年だった。挿絵はアントニー・メイトランド(Antony Maitland, 1932 – )。

フィリッパ・ピアスケンブリッジ大学を出てからオックスフォード大学出版局等の出版社勤務だった。夫は第二次世界大戦中に日本軍の捕虜となり、その過酷な捕虜生活が元で病死した。一人娘があり、作家になっている。夫の死後はコックス夫人のようにロンドン生活の後、ケンブリッジ大学に近い故郷で余生を送った。ケンブリッジ大学で英文学史の講義もし、同大学から名誉博士号も授与された。