Comments by Dr Marks

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本の広がりと文化の広がり、そして学問の広がり(マルコ伝のことで)

Studies in the Gospel of Mark

Studies in the Gospel of Mark

数年前、東京で同窓でもある、というか専門は別(彼は教会史、余は聖書神学)であっても同時期に大学院に在籍した古い友人と会った。彼はアメリカ人だが奥さんが日本人であるからか日本の大学に勤めている。

余がマルコ伝を専門の一つにしていることをそれまで知らなかったようだ。同時期に同じ大学院に在籍していても、そんなものなのだ。誰が何をしているかなどわからない。そこで彼は今さらなのだが、マルコ伝は何時頃書かれたのかと聞いてきた。余としては、ほう最近の研究動向のことか、と頼もしく思い、やはり70年以前というのがますます有力になるだろうね、と答えた。

すると彼は、えっ、13章の予言は事後予言であって、70年以降というのが常識ではないのか、と驚く。余のほうが驚いた。教会史という面白くもない(ごめん、教会史の皆さん、冗談です)専攻であるとはいい、聖書学のイロハくらいは神学部の牧師課程(M.Div.)で学んだはず(こいつハーヴァードだぜ)。

我々の一世代前の常識ならそうだったかもしれないが、「事後予言」(英語でpostdiction、ラテン術語でvaticinium ex eventu=foretelling after the eventのこと)で済ます単純な説(13章の予言あるいは預言は70年のエルサレム神殿の崩壊をすでに知っていたからだ)で70年以降とするのは、もはや通説とは言えなくなった。あまりにも素朴すぎるからなあ。

そこで、ふと思ったのが、日本の大学に入っている本の分布だった。本の分布は文化の広がりであるから学問の広がりでもある。先般紹介したガンドリーの本は、ペーパーバックの新刊を含め日本全体で10の大学図書館にあるだけだったし、冒頭の本など全く所蔵していないようだ。文化にずれがあるわけだ。

今回紹介の本は、初版は1985年であり、これ自体古い。しかも、この本はアンソロジーであり、それぞれの初出は更に古い。ただ、教科書として使われるのはどうしても後になるのは仕方がない。しかし、これほど版を重ねた本なのに1冊もないのかなあ、日本の大学に。このアンソロジーはとても便利なのだが。

内容は、『熱心党』の研究でメジャーになったマーティン・ヘンゲル(1926−2009)の論文が三つと他の人の論文が三つ入っている。ヘンゲルの論文の一つは13章の問題を扱っている。彼はもちろん70年以前説で具体的にな年代も挙げている。68年から69年にかけての冬か69年から70年の冬だそうだ。いずれにしろ神殿崩壊(70年9月)よりも早い。(他にもさまざまな説がある。)

ヘンゲル爺さんはいろいろな一線から退いていたが昨年の夏に亡くなった。10年ほど前に直接講演を聞いたことを思い出した。英語でやってくれたが、恐ろしい英語だった。アメリカ人はちっともわからなかったと言っていた。内容ではなくて英語がね。しかし、熱心党研究家だけに熱気はあったな。好きな爺さんだ。