Comments by Dr Marks

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マルコに関していくつか:あがるまさんからの質問への回答など(誰がマルコのシンボルをライオンにしたか、エウセビウスの『教会史』にマルコは何回登場するか)

ホロコーストの本でも紹介するつもりが、またまたマルコの話でごまかすことにした。4年ほど前からの友人あがるまさんから連続してコメントをいただいたが、四つの福音書の(あるいは福音書記者の)シンボルは誰がいつ決めたのかというものがあった。コメント欄では狭すぎるのでここに書く。

結論を先に述べると、それはヒエロニムス(西欧ではジェロームのほうが通りがいい、347年頃−420年)がマタイ伝の前書に書いたことによる。その部分を英訳だがネットで読めるので紹介する。中段のイタリック体の部分だ(http://bit.ly/bdnmwZ)。「人がマタイ、獅子がマルコ、牛がルカ、鷲がヨハネ」と書いてあるだろう。これが現在の伝統になった。

また、そこに旧約のエゼキエル書とあるのは同書の冒頭(1章)の「北のほうから激しい風が・・・」で始まる不思議な4つの生き物のことである。この生き物は新約の黙示録4章でも4つの生き物(獅子、雄牛、人間、鷲)となるが、いずれも翼を持つ。従って、人間というのは天使と解釈される。

しかし、この順序や、何を誰に当てるかはヒエロニムス以前は一定していなかった。例えば、ヒエロニムスと同時代のアウグスチヌス(354−430)は『福音書の調和』の中で(http://bit.ly/cJz72y)「獅子がマタイ、人がマルコ、牛がルカ、鷲がヨハネ」と主張して、エイレナイオスのルカが牛というのは同じだが「人がマタイ、鷲がマルコ、獅子がヨハネ」という説に反対している。

エウセビウスの『教会史』の余裕はなくなったな。マルコが何回出るか数えたのでメモしておく。ただし、福音書記者を日本語ではマルコというように英語ではマークなのだが、ギリシア語原文ではマルコスなのだ。そして、ややっこしいことに、マルクス・アウレリウス帝はマルクスで英語でもマーカスとなるのだが、ギリシア語では同じくマルコスであって、マルコとマルクスのようには区別できない。

区別できないからコンテクストで区別するのだが、皇帝くらいは区別できても福音書記者のマルコとしてのマルコスか赤の他人のマルコスか区別が難しい(というか昔から異なる解釈がある)ものは残る。一応、数だけ書く。マルコスに当たる1格が14回、2格が6回、3格が2回、4格が12回の計34回だった。半分以上は間違いなく福音書記者すなわちヨハネ・マルコ(エルサレムのマリアを母とする)のことと思っている。

この本だけで大変な登場回数ではあるが、歴史家というものは、そこに書かれていることを鵜呑みにしないというよりは疑っている。従って、何回登場しようが、結局どういう人物かわからんということになってしまう。わかるんだけどなあ。(ギリシア語の文献のページをめくって数を数えたのではないよ。そんな馬鹿なことはしない。ここに電子版があり、誰でもそこから検索できる。http://bit.ly/bKgMxo