Comments by Dr Marks

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姦淫の罪の証明法(今日の『阿呆のギンペル』の解説として)

今日の物語の解説のようにもなるが、ユダヤ(あるいはキリスト教)の姦淫の罪の証明法について簡単に説明しておく。実は男女不平等で、姦淫の罪は女にだけ適用される。有罪となれば死刑であった。(死刑の形は色々なので省略する。例えば、祭司の娘の姦淫の罰は火あぶりの刑だ。)もっともギンペルの時代には姦淫したからといって勝手に殺すわけにはいかないから離婚しろとラビが勧めたわけだ。(なお、なぜ重罪であるかといえば、姦淫という行為が単なる私事ではなく、共同体全体に複雑で消し去りがたい悪影響を及ぼすと考えられるからである。)

そのように姦淫の罪は重罪であるから、証明は厳格な規定があった。基本的にはどの罪もそうなのだが二人以上の証人が必要だった。冤罪を避けるためである。証人というのは witness であるから、基本的に目撃者と考えていい(申命記19:15)。だから、基本的には現行犯でなければ摘発は難しい。ヨハネ伝の姦淫の女の話は、姦淫の場で捕らえられて連れてこられるわけだから、有罪の女であったに違いない(ヨハネ伝8:3)。

しかし、この二人以上の証人ということを逆手にとって、二人が示し合せて無実の女性を罪に定めようとすることもできる。旧約聖書続編(外典)の『ダニエル書補遺、スザンナ』はまさにその物語である。また、夫が嫉妬や妄想から妻を疑うことも考えられるのでそのような場合の判定法が定められているが、これはほとんど妻に有利になるようにできていると考えてもおかしくない。読んでみればわかるが、こんなことで妻の腹が膨れるわけはないのである(民数記5:11−31)。

まあ、民数記の規定は、神経質な夫の気を静めるためのラビたちの知恵のような気がしてならない。なにしろ、エルカのケースも目撃者は夫であるギンペルだけだから、エルカは、夫の妄想だと、しらを切ることが可能なのだ。

ところで、ネタばれになってしまうが、このあとギンペルとエルカの関係にラビが再判定を下すのはずいぶんと時間が掛かるのである。最初に「すぐさま離婚してしまえ」と裁定したラビだけではなく、他のラビも加えて長い審議が行われるのだ。まあ、姦淫の罪の証明は難しい。そして、ギンペルのような心の持ち主も・・・難しいなあ。